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暇だと思われたくないか


ある日、後輩とこんな会話になった。

「LINEって、すぐに返信しますか?」
「見たらすぐ返すよ」
「それは気になる異性とかでもですか?」
「うん、変わらない」

「LINEの駆け引きってあるじゃないですか?例えば、すぐ返さないで数時間遅くしたり、ちょっと1日寝かしてみたり」

「忙しくて数時間後に返すとか気づかなくてとかはあるけど、意図的に遅くする事はないな。それする動機は?」

「うーん。がっついてるって思われたくないし、暇だと思われたくないからです

と、LINEの駆け引きの妥当性については社会通念に任せるとして、今日は「暇」についての話。

確かに、「暇」という言葉を使う時、多少の揶揄を含むし、どちらかというとネガティブな使い方が多い。

「今週末、誰か誘って飲みにでも行こう」
「いいね、太郎とか?どうせ暇でしょ(笑)」

残念ながら太郎くんは「どうせ暇」と思われている。「やる事がなさそうな人」なわけだ。

ここでは、太郎くんが実際に暇か暇じゃないかというのはもはや関係無く、「暇そう」と思われていることに意味がある。

僕らは「何かしらで価値を作って」交換しあう資本主義のシステムで生きているため、暇な人≒やる事が無い人は価値を作っていない事に直結する。

「何かしらで価値を作って」とは、大多数の人にとっての「労働」である。労働者階級である社会人は資本者階級に対して、時間と能力を売って価値を生産する。

一方で、資本者階級は生産手段を有しているだけなので、「お金」という価値で労働力(時間と能力)を買って価値を生産する。

そして、時間は誰しもにとって共通な定数だ。月に平均170時間くらい働いて、30万の人もいれば80万の人もいる。両者にとって能力は違えど、この平均170時間という"時間そのものは"変わらない。

つまり大多数の人にとって、時間という共通の価値観があり、忙しくて時間がない人は資本主義において優位に見えるというわけだ。忙しいって事は時間を人より多く払っているから、金持ってそうってことだ。

逆に暇そうな人は、価値を作ってなさそう=金無さそう=社会的な価値は低そう。という印象になってしまう。

さて、忘れかけてるであろう太郎くんの話に戻そう。

太郎くんの名誉の為に言っておくと、彼はニートではない。
平日は会社勤めをしているが、無趣味で副業もやっていないため、週末は家でYouTubeとNetflixの社会人だ。

つまり、太郎くんは社会的には暇人ではないのだが、先にも伝えた通り、「暇そうと思われるか思われないか」が重要だ。これはもはやブランディングの域である。

本来は資本主義の観点で暇な人は本当に金無くて劣位だったものが、暇という概念が一人歩きし、「もはや暇そうに見えるだけで揶揄の対象」なのだ。

「今週末、飲みにでも行かない?」
「くぅー!今週末かー!ちょっと色々立て込んでて、予定確認したらまた連絡するよ!」

と、忙しいフリをする暇な人はいるけど、忙しいのに暇なフリをする奇人はあまり見ないので、もし自分が暇ならとりあえずは忙しいフリをしといた方が良さそうだ。


最後に、余暇の話。


僕らの「時間」というのは通常限りがあり、そもそも労働なんて金のためにイヤイヤ働いてる人が大多数で、モチベーションである余暇を最大化させる為に、自分の時間を売りに出して金を儲けているわけだが、

そういえば、ニートはどうだろう?
こんな言説がある。

「ニートを40歳まで貫いた時点」で、一般的なサラリーマンが一生かけてようやく獲得する「余暇の合計」と同等量だそう。

まあニートの余暇と社会人の余暇とでは質は大きく異なりそうですが、40歳までニートを貫いた者はもはや勝ち組であり、90歳の老人と同じようなものである。

なので、40歳のニートを見掛けたら羨ましがろう。


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