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人を動かすための力学


と、銘打ったものの、そもそも意図して人を動かすという考えが良いか悪いか、その妥当性は社会通念に任せるとする。

個別具体的な方法と書かずに「力学」と書いたのはそのためだ。あくまで利害関係にある人間同士の一般論として書いていく。

そして、本記事における「動かす」の定義とは、「自分の利害の中に取り込む」という意味である。うげー、文字にするとなんとなく嫌な感じ。

さて、まずは「人が動く源泉」を理解しよう。
大きく分けて3つの要素がある。

①ペナルティ
②インセンティブ
③共感

ペナルティとインセンティブは、人を動かすうえで最も基本的な要素だ。「遅刻したら罰則」とか、「目的達成したら報酬」だとか。

ただ今日はそういう次元ではなくお金の話はしない。人を動かす時はお金以上の価値観を用意する必要がある。

「承認」と「期待」の使い手になろう。


人は誰もが「自分の存在を認められたい」と思い、「誰かに期待されることで自らの価値を実感する」生き物だ。

まず「承認」とは、単に結果を認めることではない。

「わかってはいたけど君はやっぱり別格だな」
「やっぱり周りとは一味違うよね」

承認で重要なのは「能力の優秀さ」にフォーカスするのではなく、「周りとは違うこと」にフォーカスして、相手の自己肯定感を増幅させる。

「全部私のおかげだ!」
「俺すごいわ!」

とまで思わせられれば、こちらの勝ちである。

一方で「期待」は相手の可能性にフォーカスする。

人が最も力を発揮する瞬間は、
「人から期待された時」

よく、「期待されたくない」という人がいるが、その心理を因数分解していくと「頑張りたくないから」に帰結する。人は期待されると頑張ってしまうものだ。

「君レベルなら楽勝だと思うんだけど、」
「君だったら理解出来ると思うけど、」

ここは相手に対して格別の期待を発生させることが重要。「自分は特別に思われてるかもしれない」という相手の社会的優位性を刺激する。

そして「期待」は相手にとってペナルティとしても働いてくれる。誰しも期待外れにはなりたくないものだから、一定の結果が担保される。結構ズルい。

この「承認」と「期待」を通じて、相手に「自分には意味がある」「自分なら誰かの役に立てる」という感覚を持ってもらおう。

さて、ここまでの"力学"では、ある程度人を動かせても、組織レベルの一体感や強い結束を生み出せない事がある。そこで、「共感」を使う。

強力なビジョンとゴールを共有する。
すなわち相手に「夢を見させる」こと。


「これを達成すれば、君の人生はどう変わるか」
「成功させたら周りにどんな影響を与えるか」
「達成した後の周りからの評価と視線」

未来を同じ目線で描き、相手の心を奮い立たせる。要するに、ワクワクプレゼンコーナーである。

夢を見せるためには、ビジョンとゴールが明確でなければならない。

リーダーの仕事はこれが全てだ。何を成し遂げたいのか、どこを向けば良いのかをしっかりと伝える。

より強く、より具体的で、より解像度の高いビジョンを明確に共有する。どこに向かうのかわからない船には誰も乗らない。

理念、目標、思想に共感させて、より大きな思念体を作るようなイメージであり、いわゆるカリスマ性とは歴史を見ても、常に共感力そのもの。

人を無理やり動かそうと(≒説得)すると大変だしコスパが悪い。説得はその性質上、必ず摩擦がかかるのでマジでコスパが悪い。

ならば、共感で勝手に動くようにすれば良い。共感されないならそれは相手が悪いのではなく、こちら側の表現不足だから相手に過度な期待をしなくて済む。

共感の力は、想像を絶する強さを持つ。


宗教なんてまさに共感の最終形態だし、政治の世界なんてまさにそうだ。去年の東京都知事選挙では「石丸旋風」といった現象が発生した。

あれも、石丸伸二の革新的な政治ビジョンと、国民目線の未来像を明確に設定し、強く共有したことによる共感の社会現象だ。

「都民の皆さんの責任は、かつてないほどに重大です。皆さんの奮起に、覚悟に期待します」

というフレーズを石丸氏は常々使っていたが、あれも都民に対して強力な期待をぶつけて、奮い立たせる為に言っていたと思う。

普通は「責任持って政治やります!」といったように政治家側に責任のベクトルが向いているのだが、石丸氏は一貫して都民側に責任のベクトルを向けていた。

それが功を奏したのか、都民はその強力な期待に対して自分ごとと捉え、共感は大きく増幅したわけだ。その結果、165万人以上が投票した。(人が動いた)


ということからも、人を動かせないリーダーに足りないのは強力なビジョンの共有不足であり、共感の増幅不足である。と言えるか。


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