まぁ遠慮せずに、面倒見させておくれよ
歳を重ねるとライフイベントも様変わりしてきますね。
最近の母の口癖は「人間、そうそう独りじゃ死ねないもんだ」と、縁起でもないんだか贅沢なんだか分からない状態。
彼女はまだまだバリバリ現役の経営者なので、今のところは自分のことではないのですけど、少なからずいずれは自分も息子の世話になることを示しているでしょう。
やたらとお節介に育ったわたくし、母を見ていると"血は争えない"という言葉が身にしみます。
絵に描いたような"長女"といった性格で、叔父の家で面倒を見ていた祖父ー母の父ーをこちらに呼び寄せて最期の2年をキッチリ見送ったのが2018年のこと。その時すでに大叔母ー祖父の妹ーも同じホーム(厳密にはサービス付き高齢者向け住宅)に入居させ、彼女もまた、予定は未定ながら、いずれは。
大叔母は子供も無く、大叔父は既に他界。祖母を早くに亡くした僕ら兄弟にとっては"お婆ちゃん"と言えば大叔母のことで。
誰が面倒見るって、そりゃウチでしょ、という話。何の異論も無いし、むしろ、我が家ってのはそういうもんだと思ってる節すらあります。
最初からそのつもりだよ。
どうやら最近は従叔父ー母の従兄弟ーと連絡を取っているらしく、聞けば生涯独り身とのこと。曰く、父と気が合うとかで、きっとこれはこちらに呼び寄せることになるのだろうなぁと思いながら。他に父方にも従叔母ー父の従姉妹ーが独りでいるとか、なんかそんな話がポツポツと。
60-70代くらいの世代となると、順番なんて有って無いようなもの、番狂わせだって十分に有り得るものです。
ってこたぁよ、そりゃつまり、僕やら弟やらが見送るってことですわな。
分かってる分かってる、最初からそのつもりだよ。
いいじゃない、賑やかでよろしい。キッチリ面倒見るぜ。
と、書きつつ、まぁなんと言うんでしょうね、こんな話はさ、僕らの親世代くらいまでだと、どうしたって親戚周りに限定されがちだよなぁとか思っとるワケです。
僕ら世代以降は人口動態も違うし、老いの概念も、年齢による制約も変わってくるし、七面倒臭い話なら年金とかも怪しいもんで。
きっともう少し違う概念で40年後とかを迎えるつもりでいた方がよいんじゃないかな、とかってね。
僕はちょっとした事業みたいな会社みたいなものを持ってて、経営者モドキとでも言いましょうか、見習いと言いましょうか、そんな感じの側面がありまして。
決して大層なものでも高尚なものでもなくて、若気の至りかな、若さゆえの勢いかな、20代前半の時に何の気無しにポロリと始めたのがどういう具合か残っているってだけの話でして。
でも、有ると無いとではやっぱり違うものですね。
誰かが困った時に、
「え、それならウチでちょこっと働いてよ。小遣いくらいなら出せるよ。」
と声をかけられるってのがね、なかなかよいのです。
今はなんせね、ちょっとした事業ですんで、高度な仕事が無いものですから。たくさんのお給料を払うのは構造的に難しいんだけど。
そのうちね、もしかしたらもうちょっと出来ることが増えるかもしれないなぁ、なんてね。
やたらとお節介に育ったわたくし、母に言わせれば"血は争えない"の一言に尽きるんだそうです。
絵に描いたような"長男"といった性格で、何かにつけて人の面倒ばかり見ています。自分の友達はもちろん、弟の友達やら、後輩の弟やら、人づてに輪が広がっちゃって。今はまだ出来ることも少ないけれど、少しずつ、これからも誰かの面倒を見ていくのだと思います。
「面倒を見る」だなんて言うとね、やれ上からだの、やれ偉そうだの、そんな言葉が聞こえてきそうで聞こえてこない人生なのですけど、これはどちらかというと、僕が助けられているんですよね。
困った時に助けてもらえる、のも嬉しいものですけどね、
困っている時に助けてあげたい、と思えるくらい大事な人が周りにいてくれている、ってのは大変に有り難いことです。
一人でも多く、誰かを見送ることができたら、
自分の最期は独りだって構わない、と思っていたりもします。
"孤独"って、、、あーこういう言葉を使うとなんかややこしくなりそうだけど、まぁ仕方ないですね。
きっと、自分から誰かに向かう矢印が、孤独を癒やしてくれることもあるんじゃないかと思うのですよね。貰うことばかりが癒やしではない、かもしれないと。
だから「面倒を見させてもらえる」ってのは、大変に有り難いことです。
「ちょっとくらいなら俺んトコで面倒見るぜ」
と言えるような人々と出会いながら、ほんの少し手伝いながら生きていけるってのは、
ずいぶん贅沢なものです。
それなりに頑張ってきた甲斐がありますね。
そして、まだまだ頑張らないといけないですわね。
誰かに助けてもらいながら。
お、いい感じにまとまったんじゃない?
ほいじゃ、
引き続き、どうぞ よしなに。
なんか最近、生きるとか死ぬとかってことが、妙に頭を巡る日々です。何があったってこともないです、平常運行。
前回から続いて、次回くらいまであるかもしれませぬ。
前回のはコイツです。↓
読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。