対話ってのはセッションよね
前回に引き続き「対話」をテーマに一席。
少し軸足をズラした領域における、こんな記事を見つけました。
コンパクトな記事ですので、というのと、情報を提供してくださったことに敬意を払う意味でも、1クリックを促す義務があると思うってんで言うところもありつつ、ぜひご一読いただければと。
ともあれ、
"音楽の社会神経科学 -Social neuroscience of music-"とは、なかなかに興味深いじゃありませんか。リンク先の要約によれば、仲間と音楽を作ることによって、共感性の向上が見られたり、人との繋がりを感じられたり、抗ストレス的な効果があることが分かったのだとか。
昨今の情勢は、社会性生物であるヒトにとって、史上稀に見る生態的危機だったと言えるかもしれません。社会・組織への帰属や、他の個体との繋がりを実感するために、どんな行動や環境が必要なのか、改めて思い知らされることも多かったように感じます。まぁこの辺は言い出したらキリがないですけど。
誰かと演奏を楽しむ経験があればお分かりの通り、合奏というのは独特な行為ですよね。共感性が関わることや人との繋がりを実感する、ってのも実感を伴って納得がいく話です。そもそも人との繋がりが無いと実践することもできないので、どこか鶏と卵の構造を感じないでもない、、、ってのはちょいと穿った見方かもしれない。
話を戻すと、
対話も、取り組み方次第では同じことが言えると思うのです。
バンドも然り、アカペラグループも然り、楽器や個々人に役割があるように。対話においても、シーンによって流動性があれど、流れの中に役割があります。それぞれが持ち寄った知識や特性を活かしつつ、一緒に"何か"を生み出そうとする姿勢があれば、それはもうセッションでしょう。
かつて、セミナー講師みたいな仕事をしていた時期もありまして、あれはなんというか、独壇場とはまさに、でして。貢献実感みたいなものこそあれど、帰属感などは少し遠いものでした。すなわち、対話、話し手が複数存在することが場に与える影響は、結構な別物だと感じます。
一方で、聴衆としての立場だとどうなんでしょうね。
セッションしているのを聞く、身近なケースならライブに行くとか。Twitterで同じタグを付けて実況したり、なんてのも同じスコープに入りそうですね。この辺も、帰属感や一体感を求めている本能に影響された行動に感じます。
ということで、明日、日付変わって今日の話です。
昨日のお知らせの通り、嶋津さんのところで
【「対話」をテーマに「対話」する】
てな機会をいただきまして。
おそらく5,6人くらいで共有する場になるのだろうかと予想しているのですけど、きっとこれくらいなら、話し手の二人だけがフォーカスされるワケでもなく、全員がどこか繋がりを感じられるような時間になるのではないかなぁと思っています。
他方、モデレーターのような立場を二人で即興的にこなしていく、というセッション性にはかなり楽しみな部分があります。ともかく、面白い時間にできるだろう、というお話。いかん、期待値が上がってしまう。
会の詳細はこちらのリンクからどうぞ。サークル・マガジンメンバー限定の会でして、制限のある告知で申し訳なし。
で、ここから蛇足を。
いやこの記事そのものが蛇足っぽさもある。
なんでも今回が第64回なのだそうです。ナンバリング外にもスピンオフ的なものとか外伝的なものとかプリクエル的なものとか、たくさんありそうな気がしますけど、ひとまずナンバリングタイトルとして64回目。
64って、なんかこう、シビれませんか?
1024とか3.14とか2.718とか6.022とか、ふと目が行ってしまうそんな数字ではありませんか。
まぁ24とか360みたいな、こう、まるっとした数字も好きです。高度合成数って単語を使いたいだけですけど。でもなんか違う魅力がありますよね。
8・27ってきたら64だし、8・16・32ってきても64でしょ。
しかも8・8だって64ですからね。末広がりにも程があります。
平方数であり、立法数でもある。
というのはなんだかこう、セクシーじゃないですか。次は729でしょ。そうそうあるもんじゃないですよね。
この前後で選んでくださいって言われたら61か67か、いや69も捨てがたいですけどやっぱり64でしょうね。生まれ変わっても64がいいです。
易経だって六十四卦ですものね、どこか"一周り"感のある数です。いやごめんなさいこれはあんまり詳しくないとこだった。
というか別に数字もそんな詳しいワケでもなかった。
つまりアレです。64回も続いてるって、凄いことです。
そして、なんか縁起の良さそうな第64回、いいことありますように。
<編集後記>
いい感じに芸風が出た文章になったんじゃないかしら。
読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。