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ゴリラから学ぶ"集団における関係構築の限界"

どうも、ゴリラです。

ゴリラ的には「友達100人できるかな」と言い出したのは誰だ、と最近思うワケです。友達って多ければいいワケでもあるまいね。

人間の社会では、特に会社組織などにおいては、ときに政治的とすら言われる人間関係の複雑さがあるので、考えるのも嫌になります。そこで、より原始的な霊長類において進んでいる研究を見てみようというのが今日のお話です。

霊長類における"脳の大きさ"と"群れの大きさ"に相関があることから、提唱されたダンバー数ってのがありまして。人間では150人くらい(正確には100-250人くらい)が社会的交流を持てる数の限界と言われています。

社会性を持つ動物の個体群が大きくなると、当然に社会生活も複雑になります。彼らは「毛づくろい」のような行動で個体間の関係を保全しつつ、群れの秩序が形作られていますが、これは時間的コストの高い行為なので活動量に限界があります。

よって、集団が大きくなることで"1個体あたりの深い関係性を築ける個体数の限界値"との乖離も大きくなることが予想されるワケです。


今回の報告では、大きな個体群ほど群れの関係性の多くが"最も弱い関係"になっている、とのことでした。やっぱりね、という具合です。

さらに、個体ごとに関係性の深さや数にはバリエーションがあることも分かったそうです。つまり、誰もが同じような社会経験をしているワケではない、ってことです。人間も同じですね。

なお、明快な答えが欲しい方には申し訳ないのですが、この研究で何が分かるという程のことはありませんので、ご了承ください。


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しかし興味深いもので、SNSでも同じことが起きているように感じたりするのですよね。

もちろん、実生活とSNSでの信頼獲得の方法は明確に異なる、というか、一定程度の関係構築においては実生活ほどのコストはかからないという感覚ですので、ダンバー数に似たものを推察すればきっともう少し大きくなると思います。

ただ、一定以上の関係構築には、実生活とさほど変わらないくらいコストがかかると思うんですよね。

「私と仲良し認定してる人はここまでの人ね」と、しきい値を設定したとして。値が低いほど実生活より大きなネットワークに、値を高くすることでだんだんと実生活に近づくのだろうか。と仮説的に整理しています。


SNSをビジネス的に活用するか、実生活の友人関係を模して活用するか、によって適正値は変わってくるワケですよね。まぁこれは今回の報告が無くても当たり前のことですが。

関係構築という観点から考えると、触れ合う人(アカウント)の数を広げることで得られるメリットは「出会いたいと思っている人と出会いやすくなる」くらいのもので、結局は関係構築のスキルが伴っていなければ何も生み出さないことになります。
(※指摘を受け、表現を修正しました。詳細が気になればコメント欄ご参照ください。)

一方でSNSと実生活での大きな違いは、コミュニティからの離脱が容易な点です。集団の構成要素が入れ替わりやすいことを示すワケですから、関係構築スキルが実生活ほど長期的価値を発揮しにくいことにもなります。

noteは読み手が書き手を兼ねることで、この離脱を防ぐ工夫がされているところに妙があると思いつつ、もう片手では"関係構築の欲求が実生活とは少し違う感情に支持されやすい"という歪みもあると感じています。


と言いつつ、SNSの人間関係は友人同士に似た物だけでなく、先輩・後輩の関係や、教師・生徒、親・子、はたまた教祖・教徒のような関係性まで、非常に多様です。となれば、これまた単純な答えが出るものでもありませんね。

一つ言えるのは、自分が求めている関係性は、実生活だとどんな関係なのかをキチンと整理して他の人々(アカウント)と触れ合うことが大事でしょうね、ってことと。あとはSNSを介した関係性の強み弱みを把握しながら、それぞれをどう活用・補完するかを意識することなんだろうなぁ、なんて。

繋がりが多けりゃいいってもんじゃないのも、活用の方法によるんじゃないかなぁと思いますので、フォロワー数がどうのこうのとかでモヤモヤするようなら一旦整理してみたらいいんじゃないかなーと思いました。

なんてね。


ということで、お付き合いいただき、ありがとうございました。

お相手は わたくし
納木 まもる  でした。

次回も楽しんでもらえますように。

末尾ハンコ

<編集後記>
SNSに触れてみて、結構驚いたのは、みんな人間関係でこんなに悩むんだなぁと。ついつい自分がスタンダードになってしまいがち、かつ僕は偏った世界に生きてきたので、世の人々が考えていることに触れられたのは、非常に刺激的な経験でした。

広く浅い関係ってあまり得意じゃなくて、これはある意味、お恥ずかしいことでもあり、反面、誇らしいことでもあります。
広さを求めることは今後も無いと思うんですが、浅いと言うよりライトな関係性というものも、場合によっては心地よいものだなぁ、と。これもまた勉強になった経験です。

僕は色々とアレがアレなので、社交性やコミュニケーション能力こそ高いものの、誰とでも仲良くできるような人ではないんですよね。いや別にこれは「そんなことないですよ」とか言ってほしいワケではなく。
その分、仲良くしたい人のことは大切にしますよ、ってことです。

誰にでも優しいのは誰にでも冷たいのと同じ、と思うのです。これはただの持論です。誰にでも優しい人のことは、それはそれで素敵だと思っています。僕がどうしたいか、ってだけの話です。

仲良くしてくださってる皆様。おかげで僕のnoteライフは、ずいぶん楽しいものになっています。ありがとうございます。願わくば、文中で挙げた"離脱しやすい仕組み"に負けずに、少しずつ関係性を深めていきたいものです。

どうした、急にww
いやーお盆でどうせ大した人の目には止まらないだろうと思って、つい笑
すみません、ゴリラの話から思わぬ発展を遂げてしまいまして、、


読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。