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タスクシュートの「効用」がなかなか得られないのはどうしてか?
この記事はハッキリとタスクシュートユーザー向けに書くものです。
タスクシュートに少なからぬ人が
毎日のように実行する「家事」や「雑事」などにかかる時間やタイミングを記録すれば、それらは「ルーチン作業」として認識できる。
そうして「ルーチン作業」にかかる時間を割り出せば、それ以外の「本当にやりたいこと」のための時間を割り出せる
という誤解をしています。
「これのどこが誤解なのか?」
「これが誤解であるようなら、時間術などやる意味がないではないか!」
このように思われるかもしれませんが、やはり上の発想は私には「誤解」としか言いようがないのです。
たしかに「毎日のように実行する家事や雑事などにかかる時間やタイミングを記録する」ことはできます。
それらを「ルーチン作業」として認識することもできます。
しかしだからといって、誰も「ルーチン作業」にかかる時間の総計が1日あたり24時間に達することはない、などとは保証していません。
つまり
24時間マイナス「ルーチン作業ぜんぶにかかる時間」はゼロ!
になるかもしれないのです。
まずこの事実をおさえておく必要があります。
しかしもっと大事なことがあるのです。
ルーチン作業にかかる時間をどれほど正確に割り出しても、一つ一つにかかる時間が毎日ピッタリ同じになるということはあり得ません。
現実にかかる時間は「ほんの少し」ですが変化してしまいます。睡眠時間も、平均すれば7時間かもしれませんが、今日は3分少なかったり明日は13分長くなったりするのです
これはただ「睡眠」だけに起きる現象ではなく、食事も入浴も食器洗いも家族の送迎も戸締まりも自治会への対応も何もかもが「微妙なずれ」を生み続けるのです。
したがって記録をどれほど繰り返そうと
24−ルーチン作業=1時間のやりたいことのやれる時間
などという「公式」は成り立ちません。これを目指してタスクシュートを使っていたら永遠に希望は叶わないでしょう。
少なくとも私はここ十年以上、1日たりともこんな式を信じてタスクシュートを使ったことはありませんでした。
解決策は私の知る限り3つあります。
第一は、とにかく先のことはいっさい気にせず、やりたいことをやってしまうのです。
そもそも私たちは、本当にそれが必要だとなったら実際にこの対応策を採用します。
いますぐ身体を冷やさないと熱中症で命に関わるとなったら、24時間引くルーチン作業は10分だから10分だけ身体を冷やし、11分後には体温がどうあれ草むしりを再開しよう、などとは決してしないはずです。
絶対必須のことは必ずするのに結局やらないとすれば、それをやらなくても本当は問題ないと自分に言い続けてしまっているからなのです。
まずこの態度を改めてしまうことです。
第二には、「ルーチン作業」をもっと重視しましょう。
そもそも「ルーチン作業」にかかる時間を割り出して「それ以外の時間」にやりたいことをしようというのは、前者の価値はいかにも低く、後者こそが人生を輝かせるものだ、という悲しいとらわれがあるのです。
誰が見ても「ルーチン作業」が人生の大半を占めています。睡眠と食事と入浴と家事と育児と仕事の多くが含まれる時間です。人生の九割から九割八分はこういう行動のはずです。
人生の98%以上の時間に価値がほとんどないのでは、それ以外がどんなに輝いていても幸福になれそうにありません。
そもそも「ルーチン」に価値がないというのはどういう定義なのでしょうか? 繰り返すから価値がないのでしょうか? 他人のための行動だからと言う人もありますが、睡眠は他人のための行動でしょうか? 食事は? 入浴は? トイレは? 洗濯や食洗機を回すのも「他人のため」とばかり言えるでしょうか? 「仕事」はぜんぶ「他人のため」でしょうか?
そして「他人のためにやること」は価値が低くてつまらない行動だと客観的に決まるものでしょうか?
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