3カード再開の予告
ブログに予告はいらない、というのが持論のつもりでしたが予告をさせていただきます。
3カードで「読むセラピー」の番外編を書き進めていきます。
読むセラピーはすでに1と2がでており、3が出れば完成する予定です。ここで立ち止まってしまいました。
「理由」はいろいろ思いつきますがすべてたんなる思いつきのいいわけに過ぎません。真の理由はわからないのです。
こんなときは初心に帰ります。私の初心とは「先送り」と「怖がり」です。
ほんとうに私の問題は「怖がり」でした。根本的に弱虫なのです。それが私のいろんな行く手をさえぎっていました。
中でもおおきな「邪魔」が「精神分析への行く手をはばんでいた恐怖」です。これに手を出したが最後、バッシングされて路頭に迷うと本気で信じていたのです。
私の怖がりをどうにかこうにかなだめてくれたのが倉園佳三さんの「グッドバイブス」でした。
最近のポッドキャストなどを聞いていただいた方には「グッドバイブス」を「精神分析的に」解釈したがっているように聞こえるでしょう。
それにちがいはありませんが、細かいことを言えば、私はただ精神分析的な本を読み、その話をしたかっただけなのでした。ただそれが怖くてできなかったのです。その恐れを緩和してくれたのがグッドバイブスだったのです。
しばらくのあいだ「3カード」などで、この「恐れを緩和することがどんなに大事か」について述べていきたいと思います。
恐れと不安はほんとうに困りものです。
それほど深い関係のないような「チャレンジ」にまでからみついては、いかにも解決不能らしく見せかけてしまう「諸悪の根源」とさえ思えるほどです。
100日チャレンジなどで「こんなコメントをつけて相手の人が退会してしまったら? そうしたら主催者のjMatsuzakiが困惑して、仕事がうまく行かなくなるのでは?」といった不安が秋の冷たい風のようにサッとよぎります。
理性的に「そんなバカなこと…」と考えるものの「でも用心するに越したことはないよね?」といかにも利いた風に告げる声に不安は装いを改めてきます。
こんなことで仕事を進められなくなるのです。これを「先送り」などともっともらしく称するのです。さらには「用心」という地位を使って「勉強」や「研究」が奨められてしまいます。時間を無限に消耗させようというわけです。
私は最近なるべく攻撃を控えるように自制しています。そのわずかな例外が
「でも用心するに越したことはないよね?」といかにも利いた風に告げる声
です。このようなバカちんな声には火炎放射器を浴びせ灰も残らないように徹底的に粉砕しきる必要を感じています。
この声はただ「用心を」と告げるだけで、私の能力も意欲も機能も、主要な力をことごとく奪い尽くし、ただ先送りと無為の時間だけを残していく幼稚な悪魔のように不快きわまる存在です。バカめ!
ただ火炎放射器を浴びせ尽くすとわかるのです。このような「声」などもともと存在しません。これをイリュージョンというのです。