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戦略的に生きるぞ。と思っていた10代女子が29歳になって思うこと|後半

10代後半に人生計画を書いた結果、29歳には計画が±2歳で実現した。(出産、住居、キャリア)

ただその実現には思いもしていなかった出来事が多く、10代の私には人生が複数の人の人生が絡まりあって進んでいく見積もりが足りていなかった。

今思えば、無理に進めたことで自分の体調や周囲の関係に問題が生じていたし、『もうこのハンドルを誰かに委ねたい。』と無気力になる経験も数回した。

29歳の今はというと、理想とした計画をチューニングしている真っ最中。

というのも何度かの無気力さの中で、自分が求めていたことは自分のものではなかった。と気づいたから。

10代の私が持っていた理想は、ほとんどが社会から素直に受け取ったものだった。

輝かしいロールモデルも一側面を見ていただけなのに、その輝きには調和が取れていて犠牲などないものだと思っていた。

・持続可能を目指して社会課題を解決しよう。とか
・女性活躍推進!!社会の中で活躍することが最高峰の自己実現だ。とか
・専業主婦は子どもに過干渉になり、子育てが終わった途端、経済的にも自立できなくその後の人生は暗い。とか

10代で立てた計画には、その時の社会のトレンドや、ステレオタイプ、ミソジニー(女性や女性らしさに対する嫌悪や蔑視)な価値観がたっぷり含まれていた。

20代を歩む中で、自分はどうしたって女性性を背負っている事を痛感した。(婦人科系の日々のしんどさや妊娠や出産、育児)

過去の女性たちが施してきた生活を支える事を下に見て、社会に対して甘えてるとさえ思う私の思考は、どんどん私を否定した。辛かった。30代にまでこの感覚は持ち込みたくはないと強く思う。

よく日本の大人は10代に夢を聞く。
でも、子どもの夢は、社会や周りの大人を映す鏡としての回答ではないか?

そのくせ、夢を語ると「まだまだ経験が足りないのよ。焦らずにね」と諭される。

なんなんだ!何を求めているんだ!と10代の私は本当はムカついていた。
でも怒り方を知らなくて、可能性は無限大だ。とポジティブな気持ちへ変換することしかできなかった。


そうやって可能性を追い求めながら、ボロボロになった。
ボロボロになって、やっと他人や社会から借りた理想(もはや囚われ)は捨てようという覚悟ができたのが20代後半になった今。

ここからゼロリセットしたい。
自己矛盾への対応も、限りある思考と体力をどう使うかも、心に問いかけてみる。


今もし、10代から人生計画を立て、戦略的に生きたいと思う女性がいたら

あなたの人生経験はこれからなの。それを楽しむのよ。と諭すのではなくて、ポジショントーク無しで素朴に疑問に思うことを聞いたり、私の生臭い人生が必要であれば伝えたい。

私は20代で出会った、理不尽さや葛藤・惨めさや意地悪さに対して戦ったり逃げたり、休むヒントを他の人からたくさん貰った。人は他人の体験からも学べる。


起きたことや出会った人から何を感じるのかは人それぞれ、その時々で違うから面白い。

これからだって10代の私のように感受性を豊かに、私が大事にしたいことを人生で体現していけばいい。

借り物の価値観ではなく、自分の気持ちに真面目に向き合えるかが、これからは問われている気がする。


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