夫のいない間に言いたい放題喋りまくる
今日は夫はいつものように18ホールのゴルフに行った。
今日はコーリーとその他2人でプレイ。
その間にコーリーのパートナーのチンヒと韓国料理とマッコリでひたすら喋りまくった。
と言っても、私が用意したのはマッコリとトッポキ、キムチ、ポキとトルティーヤチップス&サルサのみ。
私とチンヒの話題は本場の韓国料理のことが主で、他にはコケイジャン(白人のアメリカ人)とアジア人の関係性やお互いのパートナーとの関係性について…
会話の中にアイゴ…ケンチャナヨ…チンチャ…ミチゲッソが何故か自然に何度も入ってしまって笑える。
チンヒはソウルで12歳までおばあちゃんに育てられ、12歳の時に先にアメリカのニュージャージー州に渡っていた両親の元に呼び寄せられたそうだ。
なので、両親に対して何か強い思い入れというのがわかなかったそうだ。
ニュージャージーのジュニアハイでは、アジア人であるというだけで、白人の同級生から壮絶ないじめを受けたそうだ。
口だけでなく殴られたこともあったそうだ。
それが原因でお腹が痛くなったり頭痛がして数ヶ月間学校に行くことができなくなり転校したそうだ。
その頃からPTSDが始まったと言っていた。
今でこそアジアンヘイトが大きく取り上げられるようになったが、チンヒがソウルからニュージャージーに移住した頃は我慢するしかなかったらしい。
次の転校先はアジア人はチンヒを含めクラスに4人しかいなかったそうだが、その学校では全くいじめに遭わなくて幸せな学生時代を過ごせたそうだ。
そしてニュージャージーの学校を卒業した後、仕事のためにテキサス、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスで過ごしたそうだ。
そこでも、アジア人としての差別があり、うつ病になり医者でもらった薬を服用するのが当たり前の毎日だったそうだ。
うつ病の薬から開放されたいと思い、本土からホノルルに移住したそうだ。
しかしホノルルは本土よりは少しはマシな程度で、働く側にとってのホノルルの人々はツンケンしていてリラックスはできなかったそうだ。
とうとう対人恐怖症にもなってしまったそうだ。
自分の意志でアメリカに移住したわけではないが、かと言ってソウルに戻って生活したいとは思えないそうだ。
もう既に、そうするには長い月日が経過しすぎているし、21歳でシチズンシップも取得しているのでアメリカで生きていく覚悟は十分にできているようだ。
マウイ島に移住して、今年で5年になるそうだ。
彼女にとってマウイ島は今まで生きてきた中でいちばんリラックス出来る場所だと言う。
もちろん都会のような刺激もないし、店頭に新しいものが次々あらわれることもないし、退屈でもあるし、レストランはホノルルに比べてひどいとは思うと言っていた。
彼女のこれまでの人生を少しだけだが聞いてみて、これまで安心してリラックスできる場所がどこにもなかったのだな…
彼女にとっては、退屈でも安心して生きていけるのがマウイ島だったのか…
彼女は壮絶な人生を歩んできたのだろうと感慨深かった。
人生は全て自分の意のままで進んでいけるわけではない。
自分に課せられた人生を何とか生き抜いて、それでもその中でささやかな希望を持ち、それに沿って努力を重ねていく。
それでも画期的な変貌などはほとんどといって起こらない。
それが人生…
チンヒと梨泰院クラスのドラマのことについて話した。
ドラマの主人公が何も良いことなしのひどい人生なのに、挫けずに何度も起き上がり挑戦していく姿に胸を打たれた人も多いだろう。
チンヒとコーリーが家にもどっていった後、チンヒの人生の後半戦、彼女がうつ病の薬の服用なしで心平和にくらしていけるといいなあと感じた。
人は自分の人生さえ、どうなるのかもわからないのに…そんなことを思ってしまう。
人ってそういうものなのかもしれない。