文化って、続けること続いていくこと
文化って何だろうな、とちょくちょく考えます。
地元に通信業ソフトウェア屋の文化が根付いて国内有数の土地になれば良いなと夢見ていたので、どうしたらそうなっていたのかときどき考えてしまうのです。
野球と言えば甲子園、写真甲子園といえば東川町、俳句甲子園といえば松山市、雪まつりといえば札幌、カーリングと言えば旧常呂町、スキージャンプの子供たちといえば下川町… 押しも押されぬメジャーもあれば人ぞ知る聖地もありますよね。
でも、すべてに共通してるのは始めた当初は地元じゃ異端で、関係者が周囲の奇異の目に挫けずに続けていることで認知され、いつしか相互依存の関係を築いてきたということにあるのだろうと思います。
北海道でも1995年ころから、当時新興分野だった「インターネット」に関して、その設定や運用、さらに足りないものの開発・実装を、会社・組織の壁を越えて集まる勉強会をつくっていました。はじめはソフトウェア屋ばかりでしたがそのうち設備持ちの通信業の方々も集まってくださって、必要十分なポジションの方々がそろったチームになったように思いました。
そこに、「業界ビジョン」や「文化ビジョン」があれば…といまでは思います…。
JANOG (JApan Network Operators Group) などは一時期「年一の会合の参加者の平均年齢が毎回 "1" ずつ上がる」とまで言われていたのですがいまや若者でたいへんな活気です。ENOG (Echigo Network Operators' Group) はいまや日本最先端の通信ソフトウェア技術を扱うNOGとしてその界隈では参加垂涎、「その筋の勉強をするなら新潟へ行け」なコミュニティです。どちらの方々も、そうなるまでにはご苦労なさったろうと思います。
振り返ると、北海道や札幌界隈は、設備持ちの方々にある水準のソフトウェア技術力が移転されたところで、活動エネルギーが切れてしまったように思います。その時点で、界隈の業界は当面の業務を回せるようにはなったのですけれど10年ほどたって、界隈の若年技術者層とくに学生さんたちへの「おもしろいことをやってる土地」という認知は失われてしまいました。
エネルギー切れのとき「"通信のネットワーク技術者になりたいなら札幌へ行こう" と思ってもらえるまでになろう」という「文化ビジョン」があったかどうかが分水嶺だったように思います。
文化を持つ、ということはとても労力のいることですがそれに見合うとても大事なことだなと思います。