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呼吸を止めないで

「なあ、氷を取ってきてよ」

 兄はいつもの発作があると僕によくそう言った。それを聞いた僕は冷凍庫から氷を一個手に持ち、シャツをたくし上げて体を震わせている兄の上半身にまんべんなくそれを塗っていく。兄の背中に掻いた跡の赤い線がいくつも見える。しばらくすると、ああ、楽になった、ありがとう、と言って、兄はシャツを戻していつも通りに戻っていく。兄が家に居た頃のよくあった風景だ。僕はまだ小学生だった。

 急に発作が来るんだ、そうすると全身に我慢出来ない痒みがやってきて、いてもたってもいられなくなる。その時掻いてしまうと、もっと痒くなっちゃうから掻いちゃだめなんだ。そして、体を冷やすと少し治まるから、氷を使うんだよ。そう兄は教えてくれた。高校生くらいから冬によくそうなるようになった、とも。

 兄が家を出てしまってから、学生時代、同じ症状に僕も悩ませられることとなった。特に冬。肌が乾燥しているときに、寒いところから暖房が入ったところに急に入ると、肌が際立って反応し、痒みがサイダーの泡のように体の中から上がってくる。そして掻けば掻くほどその泡は倍増していく。掻かないとつらいし、掻いてもつらい。暴れ出しそうな気持を抑える。掻いてしまったら、血が出るまで痒みは治まらない。兄が苦しんでいたのはこれだったのか、と僕は理解した。高校生くらいからなる、という言葉通り自分もなってしまった。遺伝的なものだから致し方ない。そう諦めていた。

 社会人になってから、いつの間にかその発作は起きなくなった。冬が来ても、その発作が起きていないことも気付かないくらい、何も起きなかった。年齢的に兄が言った通り、高校生くらいだったから、きっと症状が出ていたんだな、と僕はそう理解した。
 その後、社会人5年目くらいの時に働く環境が変わった。朝8時に出社して、夜中まで働いて、そこから家に帰って、というのを平日繰り返し、土日もどちらか片方は同じように出社だった。それが当たり前だと思っていた。
 そのうちに、とても大変な業務を任せられることになった。大人数をまとめつつ、進めて行く業務だった。今から考えると、そんな能力は当時の自分には全くなかった。なので、常に失敗の連続だった。失敗をする度、顧客の責任者から何十人もいるフロアの中で皆に響き渡るような大きな声で怒鳴られることもしょっちゅうだった。そして、僕が使えない、という話もよく僕の会社の上司にこぼしているようだった。一方、なんとか失敗をカバーしようと、朝8時に出社して、夜中まで働いて、という働き方は、より酷くなっていた。働く時間が長すぎると、頭が働かない。そしてまた失敗をし、怒られる。悪循環だった。その状況がずっと続いた。怒鳴られる度、怒られる度だけじゃなく、いつも自分には価値がないんじゃないか、生きている意味がないと思うようになっていた。ずっとそう思い続けるのは正直つらかった。

 多分その時から、僕は心の呼吸を止めた。

 傷つくのを防ぐため、何も感じないようにしたのだ。痛みは減ったが、嬉しさも悲しさも怒りも何も感じないようになってしまった。映画を見たり、本を読んだり、写真を撮ったり、服を作ったり、いろいろ何かを作るのが好きだった自分が、全く何もできなくなった。そして、自分に価値がない、生きてても意味がないと思っているのは引き続き変わらなかった。
 そんな状況なら、会社を辞めればいい、とか休めばいい、と人は言うかもしれない。でもその時の自分は会社を辞める気力も残っていなかったし、誰かを頼る力も残っていなかった。ただ、日々生きていく中で、道端で車に轢かれないかな、と思っていた。自分ではどうしょもできなかったから、誰かに自分を終わらせて欲しかった。

 その生活を続けていくうちに、ある時、仕事中に久しぶりに痒みがやってきた。季節は冬ではなく、夏だった。夏なのに? 昔の発作と違う。なので、痒みが出てきたら掻いてはいけないという教えも無視して、体中を掻いてしまった。顔も背中もお腹も腿も。治まらない。そうだ、体を冷やせばいい。水で濡らせば冷やせる。そう気付いた僕は会社のトイレに駆け込んだ。

 そこに映ったのは自分でない自分だった。顔が変わっていた。掻いた部分がすごい膨れてしまって、何度も殴られたような顔になっていた。背中は掻いた場所が全部繋がって大陸のように膨らんでいた。そんな自分がさらに惨めなはずだったけど、心の呼吸を止めていた僕は、それを見ないようにした。自分の惨めさも感じないようにして、泣くことさえできなかった。

 その後、医者へ行くと、慢性蕁麻疹ですね。と言われた。慢性蕁麻疹は原因は分からないし、いつ治るか分からないんです。薬で症状を抑えるしか僕らにはできません。と。日々薬で症状を抑えようとしたが、抑えられないのもしばしばだった。でも日々をやり過ごした。その業務がしばらく続いたあと、違う業務をやることになった。僕はなんとか生き延びた。たまたま。多分、本当にたまたま、だ。

結局、慢性蕁麻疹が治るまで三年くらいかかってしまった。治るころには心の呼吸は戻っていて、何かを感じられるようになっていたと思う。
 今考えると、仕事の評価で自分を否定してしまうなんて、勿体ないことをしたと思う。でも、その時の自分には分からなかった。仕事が自分のほぼ全てを占めていて、気付けなかった。誰かに気づかせて欲しかった。

 今となると、仕事ができる、できない、とか何かが上手い、下手、とかはその人にそのスキルがあるかないか、だけでしかなくて、その人自身の素敵さには何にも関係ない。その人はその人であるだけで、素敵だ、そう本気で思っている。そして、その時の自分と似たような状況の人に気づいてしまったら、その人が心の呼吸を止める前にせめて間に合いたい。あなたはあなたであるだけで素敵、だと伝えることを。仕事はあなたではない、ということを。呼吸を止めてしまってからだと遅いから。でも、そうやって過去の自分を救いたいだけなのかもしれない。
 
 そして、兄が家に居た頃、僕の学生時代共に、多分無理をしていた、ということに改めて気付いている。学生時代に痒くなるのはそういうものだ、ではなく、痒みが起きる何かがあったのだ、と。

#エッセイ
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