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不味い飯

余りもので作った料理が美味しくなかった。それだけですべてのことがどうでもよくなってしまって、生きていることが面倒に感じられるくらい、私の人生は覚束ない。

不味い飯を食べないといけないというのは、辛い人生を生きねばならない感覚と似ている。棄ててしまいたい、死んでしまえば楽になる、という考えは良くないものだと思われる。

決して美味しくはない食事を、努めて味わわないようにしながら栄養として摂取する行為は、不幸に気付かないようにしながら寿命を待つような、人生の味気なさに似ている。

出来れば美味しい料理だけ食べて、辛い思いはしないで生きて死にたい。だけど、私が料理を失敗しない完璧な人間になれるまでにかかる時間は、きっと私の寿命よりも長いのだろう。

どんなに不味い料理だって、腐っていなければそのうち私の栄養となる。少しずつ、少しずつ、なんとか飲み込む。それすれば、あとは時間が解決してくれる。美味い料理も不味い料理も、明日の私のうんこに変わる。

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