父親と温泉へ行く 25/01/28

父親が数日後から再び勤めに出る。私は相変わらず日々ダラダラ過ごしているので、何やら申し訳無いような気持ちになったりもするが、そこは父親は流石で、私に文句を言うどころか、その素振りすら見せない。何なら普段通り大相撲や自民党、フジテレビについて語り合うのであって、その関係性は変わりない。そんな中で、これからはあまりゆっくり時間を過ごせなくなるだろうから、今日は久し振りに二人で例の温泉へ出掛けようという話になった。父親とは節目節目にこの温泉へ行っていて、今回もその例に倣ったような形になった。何度も通った山奥への道を今日も通った。いつかの真夏に、車内の冷房が故障したままでこの道を通ってその温泉へ行って、却って汗だくになった事を思い出した。あれももう、しばらく前である。結局私はこの温泉へ行く時、何らかの思い出巡りをしているのかもしれない。

ところが、その温泉に着いた時やけに駐車場の自動車が少なかったので、おや、と思ったら、なんと今日は休館日であったのである。眺めのいい露天風呂に浸かるつもりで気分が上がっていたので、やや気落ちした。そもそもこの温泉に休館日があるという事が意外であったが、そんな休館日に運悪く遭遇してしまうのもツイてないと思った。されど、ならば別の温泉に行こうという話になった。そうと決まれば目的地の変更は早かった。すぐに別の温泉を検索して、そこへ向かった。その温泉は、今まで存在は知っていたものの一度も行った事のない温泉であった。どんな温泉だろう、と気になりつつ入ってみたが、想像より中々雰囲気の良い温泉であった。結局かなり寛いで、かれこれ一時間半ぐらいは館内に滞在し、休憩室でのんびり読書をしたりもした。何かと緊張感のある日常からやや解放されて、久し振りに少しだけ深呼吸をしたような格好になった。

帰り道に差し掛かった頃はまだ昼過ぎとも呼べるような時間であったが、何やら今日は傾いた太陽がやけに気になって、もう随分夕方の幹線道路を走っているような気になった。朝からしっかり外出をした為、もうすっかり一日の終わりのような気分になっていたのかもしれない。普段の昼過ぎには考えないような事を考えて、もう気分的には電源を落としかかっているような状態になった。夕方のような街並みは少しだけ寂しさがあった。何かが少しずつ終わってゆくような気がした。また朝が来ると思えど、この街並みに再現性は無いような気がした。こういう時は、その時の思い出をギュッと抱き締めたくなる。きっと、心身共に消えてゆくときに、最後までギュッと抱き締めているのはこういう思い出なのだと思う。こういう日々がいつまで続くのだろうか。満たされて、満たされなくなる時が不安になって、こうしてまた、何かを求めて、求め続けて、一日を終えるのであった。

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