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【小説】猫耳メイドのお仕事 2

 白に囲まれた空間というものには慣れている。僕達は生まれてからずっとそこで生きてきたのだ。何かを恐れているかのように、何かから身を守るように、この世界は白に覆いつくされている。息が詰まるほどの白は、それ以外の色を受け付けようとはしない。ある種の病とも言える。視界の端に黒が映る。それこそが、今僕がこの何もない白の空間に幽閉されている理由だ。
さて、この魂はエネルギー体に昇華されるのか、はたまた跡形もなく食い尽くされるのか。
 どちらでもいい。真実を知った今となっては、むしろ痕跡も残さず消えて世界への贖罪を済ませたい気分だ。
黒が震えた。本来なら、誰もが羨む純白の翼であったはずのそれは、片翼が根元から先まで完全に黒に染まっている。それで留まったのは奇跡とも言えるだろう。両翼が染まればいよいよもってこの白の世界から追放され、消えることも許されず、永遠に世界を彷徨う奴隷となって生き続けなければならない。
 ふわりと空気が揺れる感覚があった。どうやらこんなところにわざわざ来客のようだ。常に隣にあった懐かしい気配に、悲しいような、嬉しいような、感情の幾重にも重なる表情で私は顔を上げた。僕を繋ぐ牢の前に立つ彼女はそれをどう捉えたのか、眉間にしわを寄せ、怒りとも悔しさともとれる感情をこちらに乱暴に投げつけた。
「アリス、久しぶりだね」
 僕はこれまでの日常から切り取ってきたかのように彼女に声をかけた。美しい赤い髪に、燃えるような赤の瞳。彼女の炎の神聖を体現したかのような見事な器だ。今は隠されているが、僕が知るより大きく美しくなった白い翼が目に浮かぶ。何より匂いが変わった。あの方の気配が混ざっている。正式な証としての光輪はまだないようだが、それ以外の全てが新たな塔主として整えられている。
「なるほど、僕の跡を継ぐのは君か。安心したよ。アリス。君ならダリア塔をもっといい場所にしてくれるだろう。僕は……」
「先生」
 僕の不器用な祝福の言葉は彼女の声に阻まれた。まるで丁寧に編まれた棘のようだ。僕は彼女の瞳の奥を覗いた。少しやつれた自分の姿が跳ね返る。彼女にあれこれ言われて毎日手入れをしていた亜麻色の髪はすっかりつやをなくし、錆色の瞳はまさに廃屋に朽ちる鉄錆のように寂しい。罪人として完成された僕の姿が、彼女の棘に絡みつき、僕の中を侵食していく。僕はそれをゆっくりと飲み込み、彼女の魂と向き合う。
「何故ですか、先生」
 彼女の声は、内包する感情に耐えきれず震えていた。彼女は何か思うところがあると、自分のことであろうと、他の誰かのことであろうと、こうして溢れんばかりの感情をもって我々に訴えてくる。僕は彼女が生まれたその時から彼女のことをよく知っているが、本当に優しく、強く、正義感に溢れ、それが全く厭味ったらしくない。管理者であるには少々生きづらい精神の持ち主だ。
彼女の瞳が、僕に返答を求めて雄弁にギラギラ訴える。僕は精一杯茶化すように肩を竦めて、
「何故だろうね」
と、ほうと一つ息を吐いた。
「あなたは偉大な方だ。その神聖で、ダリア塔を変えてくれた」
 真白い棘が刺さる。
「買いかぶりすぎだ」
「皆あなたを慕っていた」
「だがそれも過去のことだ」
「……」
 意地悪をすれば、彼女は息をつめて黙り込む。
「失望したかい?」
 あぁ、これもまた意地悪だ。僕はアリスをこうやって揶揄うのが好きだった。彼女の大きな感情は心地良い。まるで人間と話をしているようなのだ。
「失望などするわけがありません!私は……」
彼女の神聖が揺らいだ。そう言いながら、彼女は僕の黒から目を背ける。僕は、彼女が恐れる黒を見やった。今や当たり前のように僕の一部となっている右の黒の翼。通常翼は隠しておけるものだが、まるで見せしめのようにこの黒はコントロールが効かない。今も僕の意思に反してそわそわと震えている。きっとこいつは一種の生き物なのだろう。罪を犯した我々に寄生する生命体。もしくは、我々の中に初めからいた何か得体のしれない自由意志。身の内に潜む化け物を呼び覚ましてしまう病。今にも暴れ出そうとするそれを抑え込むかのように、この白い牢獄に繋がれた。この病は、僕で何例目なのであろうか。僕より以前の例で少ないながらも記録に残っているのは、前スターチス塔の主であったタカラという名の管理者だ。『陰陽』という非常に強大で貴重な神聖の持ち主であった。僕の記憶の中でも、多くのものに慕われ、また、あらゆる世界の危機を調整してきた実力者であった彼が、突如としてその姿を消した。『事件』ついて語る者は一人もなく、アルストロメリアの書庫に、ただ短く「タカラ・スターチス、禁忌に触れその魂を堕とす。権限は剥奪、追放処分とする」とあるだけだ。何故堕ちたかを記録したものは一切ない。その記録自体が禁忌となるからであろう。こうして実際に堕ちてみれば分かる。それにしても、塔主で二例続くとなれば、これからのシエルはますます法の鎖で雁字搦めとなるであろう。それは、悲しいな。
「おい、そこの赤いの。邪魔」
 丁度アリスの背後から、あまり聞きたくない聞きなれた少年の声がして、僕の思考を奪い去った。可哀そうなことに、アリスは表情を強張らせて、すぐさまその身を右に避け膝をついた。アリスが跪く先は、人間でいえば少年期とも呼べるような幼い見た目の管理者であった。名はシュテン。第5塔コスモスの塔主だ。
「シュテン・コスモス様、大変失礼をいたしました」
 声を震わせるアリスに深海の瞳が冷たい視線を投げる。だが、シュテンはすぐにアリスには興味を失い、その視線を僕へと向けた。心まで凍り付かせそうなほど苛立ちに満ちた表情に僕は肩を竦ませて言葉を待つしかない。
「どうして僕の研究対象はそうやってすぐ駄目になるわけ」
「君の研究対象になった覚えはないよ、シュテン。相変わらず趣味が悪いな」
「うるさい。それを抜きにしても、僕らはまた希少神聖を失ったんだ。しかも塔主に選ばれた神聖だ。その辺はどう思ってるの?」
「申し訳ないと思っているさ。しかし、言い訳じみて聞こえるかもしれないが、これはまるで病のようだ。まるで制御が効かない。僕自身ではどうすることもできない」
「これからどうなるかは知ってる?」
「具体的には知らないけれど、この世界にいられないことだけは確かだ」
 僕の言葉に、アリスはまるですがるようにシュテンを見上げた。
「シュテン様、どうか先生を——アンリ様をお救いください!アンリ様はダリア塔に必要なお方なのです!」
「うるさいな。あんたはこいつからダリア塔を継ぐんだろ。だったらわきまえなよ。僕らはずっとこうしてきたんだ」
 吐き捨てるような言葉に、アリスは肩を落とす。項垂れ、真紅の髪に隠れた表情はこちらからは伺い知れない。
 パキリと音がして、僕を閉じ込めていた白い枷が外れたのが分かった。
「リオ様がお待ちだ」
 進んだ時は戻せない。僕はアリスに言葉を残すことはしなかった。小さなすすり泣きに背を向けて、シュテンの後を心静かに付いて行くばかりだった。

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