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不平等な生命のための緊急的救済措置についての報告書


#創作大賞2022

生命とは、ひどく不平等なものである。

「それでは皆様、よろしいですね」

そう、何処かの偉い人が言った。

先輩に連れられてやって来た暗く冷たい講堂。

二人揃って寝不足で、重たい身体を引き摺るように、しかし、吸い込まれるようにやって来た。

同じく何かに疲れた同業者が沢山集まり、ほとんど初めから結論の出ている議論が形ばかり繰り広げられた。

ぱらぱらとした拍手はやがて大きくなり、止めようもないうねりとなって講堂をあたためた。

空回るように興奮した様子の先輩に習って、僕も手を叩いた。

殆ど酩酊状態と言ってもいい。

皆の心に浮かぶ光景は同じだ。


毎日毎日、救えど救えぬ命と向き合った。

音も立てず、何も見ず、ただ横になるばかりの小さな子どもを僕は抱いた。

それにすら、なんの反応もない。

ただ虚ろな目が僕の心をゆっくりと蝕んでいく。

何を考えているのか、何も考えていないのか。

しかし、全てを見透かされているような気もする。

僕は毎日他愛のない独り言をこの子に向けて呟いた。

適当な相槌も、的外れな返答もない、空虚な瞳に放たれては吸い込まれていく様は、僕の心を不思議と落ち付かせたものだった。


その子の隣のベッドの少女は、毎日毎日訳の分からぬ言葉を叫び、物を壊し、人を殴り、自分を殴った。

初めて僕らの元を訪れた時、少女の腹には命があった。

これが二度目だという話だった。

前回は中絶に間に合ったが、今回は気づくのが遅れた。

もう産ませるしかないと言われた。

何が起きたか分からぬ少女は、毎日毎日大きくなる腹を殴り、暴れた。

もう直に、という先日、とうとう小さな命は光を知らないまま少女の腹の中で眠りについた。

担当していたのは先輩だった。先輩の頬には、今朝も殴られたのか、小さく傷があった。

「これは精神性の問題だ。誰しも分かっていることだ。俺達は狂っちまったのかもしれない。でも、もう、こうするしかないんだ」

これで君達の願いは叶う。

先輩は言った。

幸福なる死をあなたに。

これは紛れもなく救済の最高到達地点だ、と。


僕達が職場に戻って最初に行ったのは、密閉された部屋の準備だった。

祈りを捧げるための像も置いた。

それから僕はあの子どもの元へ行った。

今日も動かない、ただ息をするばかりの生命。

先輩の担当の少女は既に居らず、部屋は深海の如く静まり返っていた。


僕はその子を抱いて部屋を出た。

子どものブルーの瞳と目が合った。

何を感じとったのか知らないが、僕はこの時初めてその子の涙を見た。

いつもの空虚な瞳でいて欲しかったのに、こんな時に限って、その瞳はあまりに饒舌だ。

「怖くないよ」

僕は嘘をついた。

それが精一杯の会話だった。


先程の部屋には既にたくさんの子供たちが集められていた。

僕は子どもをそっと扉の近くに横たえた。

この子で最後だった。

先輩は廊下で膝を抱え、まるで子どものように泣いていた。

僕は扉を閉めた。

重く冷たい金属音が、先輩の嗚咽に重なり不協和音を残した。

部屋の中から、あの少女の叫び声が聞こえた。

廊下まで響く声。

やめておけばいいのに、扉の小窓から中を覗く。

手を叩き、まるで歌うように、踊るように。

他の子供たちも手を叩く。

歌い、踊り、新しい遊び場を与えられたと、笑い合う。

僕は、あの子どもが皆と同じように笑い合う姿を想像した。

これから、それが叶う。

僕は引き金を引いた。


もうじき夜があける。

救済の光が世界を照らし、不平等な命はいつしか平らになった。


先輩は次の日職場に来なかった。

自宅で首を吊って死んでいた。

頬には、少女から受けた傷に重なるように、大きな痣が赤黒く見えた。

部屋で付けっぱなしにされていたテレビのニュースは、各地で行われた「救済」について、壊れた機械のように繰り返し繰り返し報じていた。


残された僕はというと、先輩の葬儀の帰り道、汚れた街の路地裏にいる。

僕を雨に濡れた地面に押し倒し、この腹に何度もナイフを振り下ろす女。

美しいブルーの瞳が、あの子そっくりだ。

かつて、少女がちぎってはベッドの上に撒き散らした色紙のように、僕の腹から真っ赤な雫が愉快に踊る。

こうして、僕も救済される。

不平等な生命が消えてゆく。

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