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難読症と言われ自信ゼロ。それでも無理なく向きあい続け、文章で小さな賞をもらった話


「ほら、またヒダリで書いている」

机の端をコツンとつつく、大きな人差し指。
見あげると、口をへの字に曲げた先生が、ため息まじりにノートを眺めている。
 
私は「鏡文字」を書くという理由で、利き手を直す矯正がはいった。
慣れない右手で書けるまで、同じ文字を何行もかかされていた。

鉛筆を小刻みに震わせながら、力強く紙にグリリ。
やっと書ける「あ」の1文字。

ピカピカのランドセルに、私だけいつもしわだらけの練習帳をしのばせていた。



言葉、文章がわからない


私はものごころついた時から、絵を描くことが好きだった。

女の子やお花、バッグとか、可愛らしいものをたくさん。
左手で色鉛筆を紙に走らせては、「みてみて!」と
母や妹たちにみせてまわった。
 

だけど、もうすっかり鉛筆を動かすということがわからなくなってしまった。「を」とか「む」とか、これは絵なのか文字なんだろうか。

いったい私はなんのために手を動かしてるんだろう?
 
そのうちそれらを繋げる言葉、文章が何なのかもわからなくなる。
教科書を開いても、ただ形を眺めるだけ。
もはや左手は無用になり、
画用紙も部屋のかたすみでホコリをかぶるようになった。


そして、はじめてもらった通信簿は、ほとんど2か3の寄せ集めだった。



 
お盆になり、親戚みんなで祖父母の家に。
久しぶりにお互い顔をあわせたからか、昼間から大賑わい。
私も大好きな叔母たちと会えるのが楽しみだった。

「この子、絵はうまいんだけどねぇ。言葉を理解していないのよ」
お寿司をつまみながら、母が伯父たちにもらしていた。
急に現実を、学校のことを思いだす。
 
「どれどれー」
立ち並ぶビール瓶の向こうで、赤ら顔の父が
次々クイズを出しては、私の不正解にどっと湧く。
 

「りえさんは深い情熱をもってますよ」
 とつぜん、もの静かな祖父が
めずらしく凛とした声で言い放った。

一瞬シンと静まる。

「お寿司食べちゃってください」

祖母があいているお皿を慌ててまとめながら、沈黙をやぶった。
 

祖父が教えてくれた小さな自信


「りえさん、ちょっときなさい」
また少し活気が戻ったころ、
祖父の暖かくふっくらした手を肩に感じた。

 
祖父の部屋はいつも古本屋のようなにおいがする。
「えーと、どれだっけかねぃ」
布袋様のようなまるくて大きな背中をむけて(見たことないけど)
壁のような本棚から1冊を取りだした。

分厚い本。
言葉なんて見たくない。さっきのことを思いだす。
 
「りえさんはどの動物が好きかな?」
祖父のふんわりとした声で、はじめて表紙をみる。
それは写真やイラストでいっぱいの動物図鑑。

見たいかも。

両手で受けとると、目尻の下がった布袋さまがニコニコうなずいていた。

本棚に寄りかかるように腰かけ、膝に本をのせる。
おそるおそるページをめくると、ライオンやキリンの迫力ある姿かたち、
そしてその周りには、どこにいて何を食べているか、身近に感じる説明。

生き生きとした情景が頭に浮かぶ。

「読める!」

いつの間にか祖父は、自分の机で本を読んでいた。

遠くで聞こえる笑い声。
時計の刻む音が、祖父と私だけの空間を作ってくれていた。
 

言葉を、文章を読んでいこう。



 
それから「なんでもいいから本が読みたい」と親におねだり。
買い物帰りの母を待ち構え、
袋からだす児童書を奪いとるようにして、部屋に戻る。

ベッドに寝転がりながら開いてみると

 絵がすくない。

いくらパラパラめくっても文字の羅列。
顔に本を落としそうになった。

それでも、おじいちゃんの動物図鑑で浮かんだ情景を、
ほかの本でもみたかった。
 

本がつなげてくれた憧れの友だち


小学3年生になって突然、転校になった。
学校は遠く、電車に乗ること1時間。
本を読むには最適な時間だった。
サラリーマンたちがさばく新聞の隙間をねらい、
なかば閉じた本を覗き込むように、文字を追う。
でも集中はできるけど、挿絵のすくない本はなかなか進まない。
わかるまで同じ箇所を読んでいるうちに、すぐに降りる駅になってしまう。
 

「あ、それ知ってるー」

休み時間。
カララっと前の席で椅子を引く音。
次の教科書は・・とカバンからあれこれ取りだしていた時だ。
乱雑におかれた本をみて、ゆみちゃんが座ろうとしていた。

彼女は少し大人びた、美人の顔立ちをしている。
そのうえ成績もよくて、クラスでは一目置かれている存在。

「この主人公ね、わたし好きなんだ」
いい?と私の本を手にとり、さらさらとページをめくる。
白くて細い指がリズムよく、しなやかに動く。

「それね、字が小さくてあんまり読めないんだ・・」
ゆみちゃんの動作に見惚れるあまり、つい口からこぼれてしまった。

え?切れ長の澄んだ目が、まっすぐみつめてくる。
私はあわてて、教科書を探す。

「教えてあげる!」彼女は初めてみる無邪気な笑顔で、
本をトンッと机においた。

普通なら「まだ読んでないから言わないで!」と口をふさぐところ。
でも何だか聞かずにはいられなかった。
ゆみちゃんの透き通った声にのって、情景が浮かぶ。
 
変わった読み方だけど、そのあと答え合わせをしながら本が読めた。
 
それからゆみちゃんには「おもしろかった」という本を教えてもらった。
図書館が2人の行きつけの場所になる。


なにも伝えていなかったことを思い知らされる


いつもの陽あたりのいい席に本を置いたとき、
「ねー、交換日記で物語書いてみない?」
いきなりゆみちゃんからの提案。

書く? 一瞬不安がよぎる。
授業やテスト以外に書くということをしたことがない。できるのか?


でも、ゆみちゃんともっと仲良くできるんだ。
嬉しさもあって、不安は気のせい、と無理やり追い払った。
 
「うん!いいね。やってみよう」
 
それから、それぞれが思いつくままの、とりとめもない物語がはじまった。
数行でも1ページでも、浮かんだものを書く。
ノートを開くたび、新しく綴られているゆみちゃんの美しい文字を眺めては
心をおどらせていた。

1か月ほど続いたある日。
「なんか私たちって物語になってないよね」
少し困り顔のゆみちゃんからノートを受けとった。
それはなんとなく感じていた。私が悪いんだ。
どのページもむりやり繋げてある、ちぐはぐなストーリー。
交換物語は毎日から3日に1回、週に1回、と自然に減っていき、
ノートが埋まることはなくなった。

あの時に感じた不安はこれだったんだ。



祖父から教わった大切なこと


ときおりゆれる風鈴の音、縁側でスイカを食べていた。
妹と、種をピュッピュッと出しながら、その先で庭いじりをする祖父を眺めていた。
久しぶりに会う孫たちのために、と野菜や果物をもいでくれている。
 
「ところでりえさんは、いま何読んでるの?」
山盛りにしたカゴをかかえながら祖父が戻る。
そのまま洗い場の蛇口をひねり、手を洗いはじめた。

水音と蝉の声で聞こえないフリ。

「ん?」布袋さまの笑顔が振りかえる。
スイカと一緒によどむ思いを飲みこみ、絞りだすように言った。
「いまあんまり読んでない・・」
 
どっこらしょ、と首に手ぬぐいを引っかけて祖父も隣に。
おじいちゃんのズボン、土だらけ。
ぼやっとみながら、この間までゆみちゃんと本が読めたこと、交換物語のことをポツポツと話した。
 
「わたし、なにも伝えられなかった・・・」
心に閉じ込め、誰にも言えなかったことをはじめて言葉にした。
 
どこかでツクツクボウシが鳴きはじめている。
 
「じゃあ、おじいちゃんがりえさんに手紙を書いてあげよう」
セミのいる方を探していると、意外な言葉が。
「え?」一瞬、雲のあいだから陽がさしこむ。
まぁ楽しみに待ってなさい、祖父はまだ残っているスイカを差しだしてくれた。
 
ほどなくして、祖父から手紙がきちんと届いた。
大好きなキャラクターの便せんが、四角く整った字で埋めつくされている。
夢中で読み進めると、最後に「最近あったこと、うれしかったこと、何でもいいのでおじいちゃんにお返事ください」と締めくくられていた。

その手紙は秘密の箱にこっそりしまい、
毎日のように取りだしては読み返していた。
 
それから、勉強のこと、読んだものを手紙にした。
何を書いたらおじいちゃんはあの笑顔になるかな。
それを考えるのが楽しい。
いつしか秘密の箱は、1つではおさまらなくなってきた。
 

まさかの出来事


 それから2年後の秋。学校で突然の発表があった。
夏休みに書いた私の読書感想文が、
小さなコンクールで特別賞に選ばれたとのこと。
 あわてて理由を聞きに職員室にかけこむと、先生から意外な言葉が。

「思いが伝わる文章が印象的だったらしいよ」

私は右手で小さくガッツポーズをした。
帰ったらおじいちゃんに伝えよう。


 

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