ここのところ、他界して10年になる父のことを思いだす。 ヘンな人だった。 感情のコントロールが下手くそで、すぐ怒る、塞ぎこむ、が日常茶飯事。 お陰で、ちゃぶ台をひっくり返すシーンも実写版で観賞?した。 (幼いながらもその場でとっさに考えたのは、「ご飯もったいない」と「絨毯のシミ落ちるのかな」でした) 人の性格は変わらない。 成長の過程で、この言葉を何度も耳にし読んだりしたので、父には何も期待しなくなっていた。 そのかわり、客観的に捉えるのが板についたのか、父の不器用さがや
ヒュー、ヒュー 耳元で唸る風の音に、タケルは気づいた。 波のような流れにのって、はたはたと髪がたなびいている。 うっすらとした意識のなか、頬にひんやりとしたなにかを感じた。 閉じたまぶたを通して、まばゆい輝きが差しているのがわかる。 光のあたたかさで、タケルはだんだん感覚がよみがえってきた。 僕の手はなにか隆起したものにつかまっている。そしてその右手から、胸やお腹、足先まで、全身で僕はなにかにつかまっている! 「なにっ?」 タケルは飛びおきた。といっても風の勢いに逆らい
おそらくはじまりは、きらめく流れ星が漆黒の夜空をかけ抜けるような、 ほんの一瞬の感覚だった。 「ん?いまのはなに?」 その「なにか」は、意識するとたちまち消える。 けれどもいつからか、心の一角にトスッと差しこまれ、 それはゆっくりと根を張っていく。 たぶんそれは、本能で築いている自分の芯。 家族がみんな、精神、身体的に傾きかけて、わずかな刺激でもつまずく危うさを秘めていた頃があった。 誰かに寄りかかりることでその身を立てている、そんな家族の添え木の役に、暗黙に手をあげて
「いつも大変お世話になっております。 お忙しい中、ご連絡いただきましてありがとうございます」 普段、仕事で使う文章といえば、まずはこの冒頭からのビジネスメール。 「いつ」の文字まで打てば、予測変換で完結した文章がパッとでてくる。一連の動作は末端神経にまで浸透していて、すかさず薬指がEnterキーに伸びている。 いかに相手に失礼なく、簡潔に用件を伝えるか。それに徹するのみ。 (と言いつつも、心をこめていない・・) たまに親しげに送られてくるお返事に、つい自分の気持ちを挟みた
パソコン画面をじっとみる。どのくらいこの姿勢でいるのだろうか? キーボードの上に両手を広げたまま、視界はぼんやりしていた。 やっと週末。今日は早い時間からゆっくり書ける。コーヒーとスイーツも用意した。いざ執筆!のはずが、何も浮かばない。 なぜか心のなかで、すでに「empty」ランプが赤く点滅している。 ここのところいつも同じパターン。 残業だったし・・と自分に言い訳をしてpcを閉じる日々だった。 今日こそは書こう、と思っていたのに。 心の底でうごめいていた不安が、一気にあ
疑っていいのかしら。 と、しばらく頭から離れない出来事があった。 やわらかい陽差しのなか、少しひんやりした風が頬をなでる。 ふわっと香りものってきた。 「すぅーっ」 つい口元が緩み、胸いっぱいに吸いこむ。 姿はみえないけれど、からだの中は金木製でいっぱい。 犬は気になる匂いを見つけたのか、 道のわきに生えた草を、ひたすらすんすん。 たまにはのんびり歩くのもいいか。 脇道にはいると、途端に車の音も聞こえなくなる。家々が並ぶその小径は、平日もあってすれ違う人もほとんどいない。
私は時々イラストを描いてます。 デジタルイラストにも少し慣れてきて、ipadも欲しいな~と夢みるこの頃。 でも余裕があれば、棚の奥に追いやってしまった色鉛筆を取りだします。 卓上のイーゼルにケント紙をセット。布状の筆入れをパラリと開いて、しばらく色鉛筆たちを眺めます。なに描こうかな~とボヤっとしながら、適当に何か浮かべばといった全くの無構成。 今まであちこちの文具店で1本ずつ選んだ、どれもお気に入りの色。気がづくと、ファーバーカステルばかりが揃っています。描き方の癖なのか、
「ほら、またヒダリで書いている」 机の端をコツンとつつく、大きな人差し指。 見あげると、口をへの字に曲げた先生が、ため息まじりにノートを眺めている。 私は「鏡文字」を書くという理由で、利き手を直す矯正がはいった。 慣れない右手で書けるまで、同じ文字を何行もかかされていた。 鉛筆を小刻みに震わせながら、力強く紙にグリリ。 やっと書ける「あ」の1文字。 ピカピカのランドセルに、私だけいつもしわだらけの練習帳をしのばせていた。 言葉、文章がわからない 私はものごころつ