写仏部員の国分寺散歩:武蔵国分寺跡・お鷹の道 他
10月下旬、郊外の実家に行ったついでに国分寺に寄り道。前から行ってみたかった史跡などを見て回りました。
武蔵国分寺跡
奈良時代の中頃の天平13年(741年)、政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で安定させようと、聖武天皇は諸国に国分寺の建立を命じました。
武蔵国に建てられた国分寺・国分尼寺の跡がこの一帯にあります。
金堂、講堂、七重の塔などいくつかの遺構があり、これらを合わせた敷地はかなり広いです(東西1.5km、南北1kmの範囲に及ぶ)。東京ドームのおよそ3.3個分と言われています(ちなみに全国の国分寺の総本山である奈良の東大寺の敷地は、東京ドーム14.5個分とか)。
奈良時代の伽藍は元弘3年(1333年)の合戦の際に焼失したと伝えられています。
武蔵国分寺跡は、規模やその歴史的価値の高さから、大正11年(1922年)に国の史跡に指定されました。現在は国分寺市によって公園として整備されています。
まあ、礎石の他は特に何があるというわけでもありませんが。
暑くも寒くもない良い天気の日に、奈良時代に思いをはせながら、ひと気のないだだっ広い公園をぶらぶらして気持ちが良かったです。
武蔵国分寺
奈良時代に建立された武蔵国分寺は鎌倉時代の合戦で焼失しましたが、その金堂跡に建武2年(1335年)、新田義貞が薬師堂を建てました。これが現存する武蔵国分寺のはじまりです。
現在の建物は宝暦年間(1751年-1763年)の再建。安置されている薬師如来坐像は国の重要文化財です(非公開)。
私が撮った写真では薬師堂の雰囲気が全然わかりませんので、よかったら公式サイトをご覧になってみて下さい(ご本尊の画像もあり)。
仁王門は宝暦年間(1751年-1763年)の建立で、入母屋造の八脚門。楼門は米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したもの。これら薬師堂・仁王門・楼門は、市の文化財に指定されています。
境内には、かつての住職が収集した、万葉集にちなんだ植物が植えられた「万葉庭園」があるというので行ってみました(入場無料)。私は万葉集に詳しいわけではありませんが、なんだか風流そうではありませんか。
ところが。
ほとんどの植物が見頃を過ぎていたのは仕方ないとして、もともとあまり手入れがされていないようでした。いろんな草木が入り乱れ、ところどころにかかった蜘蛛の巣がホコリをかぶっています。
予算が足りないのか人手が足りないのか。せっかく160種もの植物が集められているというのに「人に見てもらおう」という意欲が全く感じられないのは残念です。
お鷹の道
武蔵国分寺のすぐ近くの小川沿いに「お鷹の道」と名づけられた遊歩道があります。
真姿の池湧水群
お鷹の道から少し入ったところに「真姿の池」があります。このあたりもきれいな水が流れていて散策に良いです。
「真姿の池」の由来については次の説明をご覧ください。
真姿の池をはじめとする湧水群は、 上記の「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、昭和60年に環境省選定名水百選のひとつに選ばれました。また、東京都の名湧水57選にも入っています。
一旦休憩しようと思ったのですが、遊歩道沿いのカフェは定休日でした。
ここでは地元の野菜や果物を使ったランチなどが食べられるそうです(国分寺市は畑が多くて農業が盛ん)。
お茶屋さんでひと休み
国分寺駅方面へ向かいます。
途中、「自家焙煎 ほうじ茶」ののぼりを見つけました。ここでお茶をいただくことにしました。
この中では浅煎りが口に合いました。焙煎による香ばしさが加わりつつも、深煎りほうじ茶とは違い、お茶の甘みや旨味がちゃんと残っています。
さて、せっかくここまで来たので、駅に入る前にもう1ヶ所立ち寄ります。
殿ヶ谷戸庭園(隋冝園)
三菱合資会社の取締役だった岩崎彦彌太の別荘があったところです。
敷地の中を国分寺崖線が通っています。そこから湧き出た地下水を利用して池が作られました。高低差のある地形を利用した回遊式庭園です。
昭和49年に東京都が買収して整備後、庭園として開園。平成23年に国の名勝に指定されました。
国分寺散歩はこれでおしまい。ご覧いただきありがとうございました。
最後に写仏部員として、武蔵国分寺のご本尊(薬師如来坐像)のイラストを模写した作品を提出します。
実は帰り道に階段で転んで大きな痣ができてしまいました。早く治ることを願いつつ描きました。