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昨日と同じということは変わり続けること

 僕は長い間化学プラントで仕事をしてきた。いわゆる装置産業で高速で動く機械,高温の熱,高圧の電気など非常に大きなエネルギーを使っていて,そのエネルギーをまともに受ければ人は簡単に死んでしまう。取り扱っている物質も可燃性があったり有毒性があったりするが,生産されるものは人類の生活に有用なものであるから産業として成立している。
 装置産業では昨日と同じ今日を継続することが最も大切である。個々の機器は定められた機能通り動作することが求められ,それに付随する作業方法も全て決められている。事故なく安全に,規定の品質通りに今日を終え,それを翌日も継続する。これを愚直に繰り返していく。
 しかし昨日と同じ今日とすることはそんなに簡単なことではない。機器は昨日より1日分劣化が進む。少しの変化の積み重ねが事故や故障を引き起こす。だからその変化に気が付き,何かしらの対処をしなければ昨日と同じとはならない。結果として今日の我々は昨日よりもレベルアップしている。裏返せば,昨日よりレベルアップしていなければ今日の安全は担保されないとも言える。
 
 普段の日常生活も高エネルギーを取り扱うようなシビアな局面はないけれども,小さな変化の連続である。天気は変わるし,関わり合う人達のご機嫌も違う,自分の体調にも変化がある。いつもと変わらない日常が幸せと言いつつも,たくさんの変化に対処しながら生活している。幸せだと感じるのは変化にうまく対処してレベルアップできた達成感からではないだろうかと思う。だから幸せを実感するにはまず小さな変化に気が付くことが必要だ。
 日常の中で変化するものの代表格として天候が挙げられるだろう。晴れ,雨といった現象も毎日変わるし,季節も移ろっていく。これを制御することはできないから,動物や植物は住む場所の天候に合わせて生命活動を送っている。人間も農業が生産活動の中心だったころは,天候に合うように社会を構築していた。日本の二十四節気に代表される仕事の仕方もそうだし,住む場所も自然災害に合う可能性の少ない場所を選んでいる。天候の変化に気が付く能力はサバイバル能力でもあるから,子孫である我々にも備わっているはずだ。

 身近にある天候の変化,それに付随する動植物の変化に気が付くことが幸せへの第一歩である。そのためには環境が整っていなければならない。空が見える,花が咲く,動物の鳴き声が聞こえる。そんなものは田舎に行けば揃っているが,その田舎が危機にある。不便で,儲けが少なく,自然災害も多発する,そんな場所では日常の社会生活さえも消滅しかかっている。変わり続けて到達するべき未来が無くなっているのである。田舎を消滅させることは,幸せを放棄することだと言ってしまうのは大げさ過ぎる表現だろうか。
田舎の中心にあるのは農業である。農村では農業を中心に社会システムが最適化されている。農業が活性化すれば田舎も活性化する。田舎が活性化すれば自然の変化に気が付くことができる。そして幸せが増える。これを実現するために農業を支援する会社を立ち上げた。装置産業で小さな変化にシビアに対応してきた経験と,気象予報士としての気候に関する知識を農業の活性化に役立てられるはずだ。

 僕は学校は土木工学科を出ている。これまでもこれからも一見土木工学とは離れたことをしているように思えるが,学校で勉強したことが役に立っているし,むしろ土木工学の一部だとも思っている。今回土木学会×noteの投稿コンテスト「暮らしたい未来のまち」を見つけ,自分の創業のタイミングと一緒であることに何か運命めいたものを感じて,今の思いをまとめてみた。

 お題の「暮らしたい未来のまち」を表現すれば,「自然の変化に気づくことができるまち」になるだろうか。どんなまちなのか,次回に引き継いでもう少し書き綴ってみたいと思う。


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