金魚が亡くなったのでお経をあげた
金魚すくいで連れてきた二匹のうち、一匹が日曜に亡くなった。
一匹じゃさみしかろうと思っていたら、火曜の朝、目覚めたら、もう一匹も亡くなっていた。
水温には気をつけていたつもりだったが、亡くなった原因は水温の上昇、そして水中の酸素量の減少だろうと考えている。いい加減に水の世話をしていたわけではなかったが、ポンプなど十分な設備があるわけではないので、申し訳ない気持ちになった。
うちに来てくれた生き物。何かの縁があったのだろうと、お経をあげた。
(白骨の御文、正信偈、仏説阿弥陀経)
浄土真宗の葬儀の時、よく聞いたものだ。
他の門徒さんにとって一般的なお経かどうかはわからないが、私が子どもの頃より何度も聞いていて、節を知っているのはこの三つだ。
お経は、お経の意味を見ると、亡くなった人に対して、というより亡くなった方の周りにいる人間を慰めるためにあるようだ。それでも、宗教で見聞きする物語にあるように、お経を読むことで亡くなった対象があの世で少し救われるかもしれないという気持ちが湧いた。
結局は、金魚が救われる想像で、私の気が楽になるだけだと思う。
自己満足でしかないけれど、申し訳なさから何もせずにおれなかった。
お経を読んで、意味付けをしてしまったことで、2020年夏、二匹の金魚と出会ったことは、私の人生の一部に書き込まれてしまったように思う。たった一週間のことだけど、一緒に住んでくれてありがとう。
さて。金魚すくいをした息子に、なんて伝えればよいだろう。
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