石岡瑛子展に刺激をもらう
石岡瑛子展に行ってきました。
「血が、汗が、涙がデザインできるか」
行くことになったきっかけはこのツイートです。
デザインにも疎いし、広告の世界にも詳しくありません。
それでもどこで見たのか、インパクトがあるPARCOのポスターは見たことがありました。
世の中にメッセージを投げかける、何かを世に問うということは、私の編集・ライターという仕事にも通じるものがあるかと思い、東京都現代美術館まで行ってきました。
入り口から入るとすぐに日本での彼女の仕事が目に飛び込んできます。おぼろげに見知っていた70年代のPARCOの作品群が特に目を惹きます。
「さらば故郷、ファッションに国境はない。」「裸を見るな。裸になれ。」「アンチ・センチメンタリズム・パルコ」「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」「ファッションだって真似だけじゃダメなんだ。」「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」「君を尋ねて幾千里 夢幻の如き七彩哉」などなど。
特に、裸、人間の体は美しいと感じます。
もっと後、ソルトレイクオリンピックの仕事をしていた2000年当時の石岡瑛子さんのデザインのテーマは、
「精神も含めた広い意味でのBODYの解明」
だったといいます。
彼女の中で人の体というものが美しいということ、それをどう魅せるかということは、ずっと根底にあったように思いました。
壁に大きく張り出されたPARCOのポスターは、すごくパワーを感じました。
これが当時、見た人にどんなインパクトを与えたのか。驚きや畏怖の感情もあったと思います。たった一枚で、その時代に生きている人の頭や心に、何かを植え付ける仕事って、なんていえばいいんでしょうね。
館内には、石岡瑛子さんへのインタビューの音声がうっすら流れていました。
彼女は自分でそう感じる人間だったようですが、デザインやポスターを作成するにあたり、一緒に仕事をする人に何をどう伝えていたのか、そこに興味が湧きました。
彼女が素晴らしいものを頭の中にイメージしても、ポスターが完成するまでには、カメラマン、デザインを作りこむ人、写真を補正する人、それぞれにイメージするところを伝えないといけないでしょう。
ポスターのデザイン案へ彼女が書いた指示も展示してありました。
相手に合わせて指示の内容は変えてるように思いますが、ときに細かく、ときに相手のことを信頼して目指すイメージを伝えているようでした。
では、これらのちょっとした指示だけで、諦めてしまっていたかというとそうではありません。館内に流れるインタビューで、「若い頃の仕事をふりかえって、よくやっているなぁ」ということも話されていました。きっと展示されていた指示だけにとどまらず、もっと丹念に、妥協しない姿勢を一緒に仕事をする人には伝えていたんでしょう。
妥協が生む作品でないことは作品を見ればわかると思います。
その後、彼女は、仕事にマンネリを感じつつある自分に気づき、アメリカに渡ります。すでに誰かに知られていて、仕事で呼ばれたわけではないのです。1983年、これまでの自分の仕事を整理、総まとめし、自ら編集した本を出版します。これを名刺がわりに、新たな仕事に広げていきます。演劇舞台のデザイン、美術、映画の衣装デザイン、と。
特に衣装のデザインは、作品に影響を与えるだけでなく、作品自体を作ってしまっているようなものもありました。
(舞台「忠臣蔵」、映画「落下の王国」など)
衣装は、ポスターとは違った伝え方を一緒に仕事する人には伝えないといけないでしょう。自分の過去の得意分野にとどまらない姿勢は、しびれますよね。。
亡くなる前年のインタビューで、彼女は
「仕事をしているというよりは、ずっと長い創造の旅を続けている感覚ね。」
と答えています。
私は、編集・ライターとして、今の仕事を続けること、コンテンツを発信していくことに覚悟は持っているつもりですが、なんとなくここまで来てしまった感も拭えず(システム開発の仕事から、1年半前に畑違いの今の仕事につきました)。四十も半ばになって、今からスタートするような心持ちの私。
技術も経験もいま一つですが、歳を重ねても、チャレンジする気持ちと行動だけは持ち続けたいと思い、展示を後にしました。
展示会は、2月14日(日)まで。興味ある方は、お早めに。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。