占いコンテンツを読みたくなる時
心が弱っている時、それでも何かを決めなくちゃいけないことがある。
正解がわからない選択肢が並んでいて、どうにも選べない状況がある。
食事に興味がない人がファミレスに入ってメニューから食べるものを選ぶような場合は別だ。しかし、食事を楽しみたい人にとっては、入る店を選ぶにも、メニューから食べるものを選ぶにもパワーがいる。
その人にとって、どうでもいいことじゃなければ、MPを消費する。
余裕がない時、心が弱っている時、
選択すること、決断しなければならないことがいくつか目の前にある時、つい占いを見たくなってしまう。
星座占いであれば、たった12タイプで分けられるはずもないと思っているから普段見ることはない。同じ星座の有名人を把握しているわけではないが、同じ誕生日の有名人がいることはなんとなく知っているし、Facebookで毎年お知らせしてくれるので、同じ誕生日の知り合いも知っている。
同じ誕生日の人の顔を思い浮かべ、
え、俺とあの人が同じ? 同じ境遇? 同じ種類の問題抱えてる? 同じバイオリズム?
そんなわけがあるはずもない。
確かに、生まれた季節が同じなら、生まれて最初に感じる寒さや温かさも似てるだろうし、同じような成長曲線の時に出会った季節のイベントも同じだろう。占う側から見れば、過去に同じ括りの人の占いをして、特徴が似ていれば、その括りの人は、似た特徴を持っていると言えるかもしれないし。さらに、占いを享受する側も、「〇〇座はこんな特徴です」みたいなものを成長過程で何度も目にすれば、何となく、そうした特徴を体に取り入れてしまうこともあるだろう。
だから、どんな占いでも、躍起になって、否定するようなものでもないと思うが、あまり信じてはいない。そう思っていても、自分で選択する、決断することができない時期には、占いというものに触れたくなってしまう。
だって、
「こういうことがあるかもしれないけど、こうやって乗り切って!」
と親切に教えてくれる人はまぁ周りにいないから。
もし、占いを自分に宛てた手紙としてみるならば、この人はなんて親切なんだろう、と思うし(押し付けもあるだろうけど)、仮に、自分の経験に照らして、ドンピシャなことが書いてあれば、もう相手を信じたくもなるだろう。そして、占いで、気になることが書いてあって、それに近い出来事が後に起きれば、あ、これのことか?! とも思うかもしれない。
実は、そこに嘘が書いてあっても関係ないのだ。
本当に大事なことは、たくさん書いてある占いの文言の中で、目に留まってしまうだろうから。とにかく丁寧に、私に向けて、書いてくれているかもしれない言葉を今は受け取りたい。今、自分では正解がわからない選択肢がたくさん並んだ状態だから。
とりあえず、ことさらに丁寧な手紙をくれると評判の占いを読んでみよう。
気に入らなければ、明日、散歩する時、近くの神社でおみくじでも引こう。