soarさんがクラウドファンディング中です。
soarさんについて
soarさんは、いろんな生きづらさを抱える人、その周りの人たちの活動を切り取り、発信するメディアです。
そのsoarさんがクラウドファンディング中です。
応援というほどでもありませんが、soarさんの活動が続いて、soarさん自体の影響が大きくなればいいな、とうっすら思ってます。
soarさんを応援する理由
私は、私で、社会問題として、自殺者を減らすことに興味・関心があります。
自殺は、生きづらさを感じる人が、選ぶ手段と強いつながりはありますが、生きづらさ、即、死に向かうというわけではありません。だから自分の興味関心のための応援ということではありません。
ただ、無関心でいることはできない理由はいくつもあります。
以前、『「同性愛者を入店させないで」と投書した客に「もう来ないでください」 お店の回答に称賛の声集まる』というニュースがありました。
LGBTは、13人に一人とも、7人に一人とも言われます。呼び方もいろいろです。
私が20年以上前、田舎にいたとき、そういった方と出会ったことはありません。それは、いなかったということではなく宣言する人がいなかっただけです。
また、周りに宣言する人がいないから、自分のことを苦しみつつ宣言することはありませんし、自分のことをそうだと認識することもなかっただけだと思います。この投書した人も、単にそういう人がいることを知らなかっただけではないか。タイトルをみて、そう感じました。自分が知らないことは異物感が伴います。私はニュースのタイトルだけで投書した人を責める気にはなれませんでした。
他のエピソード。
息子が2歳くらいのときでしょうか。
目と目の間がすごく離れた子が、近くの公園で遊んでいました。
お母さんは、つかず離れず。すごくおどおどされていました。きっと勇気を持って、公園に来られたように感じました。どういう扱いを受けることになろうと、子どもの将来を考えると、同世代の子と接する機会を持ちたい。そういう気持ちだったと想像します。
息子がその子に気づき、
「おかしいねー」
と私に言いました。
2歳の子です。悪意なんてあろうはずもありません。
(6歳の今もいい子です)
ただ、シンボル化して認知している顔と違ったから出た言葉でしょう。
同じ子を持つ親として、二重に胸がつぶれそうな思いをしました。
たまたま、うちの子が目に見える障害らしいものを持って生まれなかっただけで、そのお母さんの立場にはなり得たわけです。
息子がそういった子と生活空間を共にするとき、友だちになったとき、お互いが苦しくないように生活して欲しいと思っていますし、私自身、普通にそのお母さんとお話できるといいな、と思っています。
生まれついてのもの、障害と言われるもの、生きづらさ、そういったことが世の中に溢れるものとして知ったほうがいいと思います。そのためにsoarさんに、もっと紹介して欲しいと考えています。
積極的に応援しない理由
でも、私は積極的にSNSでシェアすることはしません。以前、知人のお嬢さんが心臓移植が必要なことがありました。助けたい一心で、SNSをフルに活用し、友人知人にも頭を下げ、寄付を募ったことがありました。
(心臓移植は無事、成功しました… ほんとよかった……)
そのときは、普段の付き合いもない、年賀状のやりとりもない人に、そんなときだけ連絡をして募金をお願いしました。そのため、実際に疎遠になった方もいます。ただ、自分が寄付することを他人に強いるのはよっぽどのことだ、ということです。金額の多寡でなく、直接、接点がない人やサービスにお金を無心するように見えることは慎んだほうがいいと感じました。
そうしないと、同じようなことがあったときに、ライトに寄付を募ることと、本気の区別できません。もっとライトに寄付というものが捉えられると違うんですけど、私もまだ、うまく分けられていません。だから同じようにSNSをフルに使ってお願いすることもできません。
できることといえば、自分が寄付したときに「寄付したよ」というだけです。
締め切り前には、もう一度、寄付をして「寄付したよ」ツイートでもしようかな。
soarさん、クラウドファンディングの成功を祈ってます。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。