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観劇後の余韻、『シン・タイタスREBORN』との対話

『シン・タイタスREBORN』を観てきました!

以下、めっちゃネタバレしてるので、見た人、見に行けない人だけ読んでください。

終わって最初に感じたのは、
「あぁ、たった今、目の前で劇を見たんだな…」
ということでした。

観客を劇の中に巻き込もうとする行為も多いですし(手拍子させようとしたり)、重いドアの開閉、外気を入れること、倉庫内の階段を使うなど、その場を感じさせる行動はたくさんあります。

でもたぶんそれだけじゃありません。

久しぶりに劇を見たせいもありますね。コロナ禍のリアルの観劇は、歌舞伎を二階の席から二度見たくらいだと思います。

カクシンハンの劇は楽しませようとするサービス精神が旺盛ですよね。でも、仲間内で楽しんでる感じということじゃなくて、「見ている人に楽しんで帰ってほしい」感があります。両者の違いはなんでしょう。

なぜ、今、タイタスか?

そして、やっぱり劇を見ると伝えたいメッセージがあるのか、みたいなことを考えたくなります。冒頭、劇の本編に入る時に、演者の皆さんが踊りながら歌いながら入ってきました。「復讐なんて無駄」みたいな言葉が混じってたように思います。そんなことを伝えたかったんでしょうか? 人はかくも残虐なことをしてしまうということを伝えたかったんでしょうか? そもそもなんで残虐と言われるタイタスを企画したんでしょうか? 企画自体はコロナ前ですよね。ムーア人、エアロンの謀略の話ですが、元をたどれば、サターナイナス(先のローマ皇帝の長男)がタモーラ(ゴート人の女王)を妃にしたことが原因ですし、さらに元をたどれば、サターナイナスを皇帝に推したタイタスが原因になっています。すべては自分の蒔いた種、なんてメッセージがほしかったんでしょうか?

タイタス・アンドロニカスの演出

タイタスをやるなら、もっと残虐に見せる演出もあったでしょうが、そうはしていませんでした。人を斬るシーンは刃物(の形のもの)ではなく手袋をした手でしたし、戯曲通りの部分もありましたが、殺すシーンを見せない部分もありました。強姦のシーンもそうですね。

本編とは別のシーンで、ご丁寧にもカラス(シェイクスピア)に「すべては想像だ」という助け船を観客に出してくれます。

刃物も想像、落とし穴も想像。想像しだいでどんな残虐な想像もできます。マーシアスとクインタスの首はほんものでしたけど。

あの血の赤い布は、蜷川さんのタイタスからでしょうか、私は蜷川さんのタイタスを見ていませんが、あの白に赤い布の強烈なポスター画像のイメージが残っています。あの血だけは、布ですが、痛々しくもあり、多量の血であり、あれ以上、残酷な表現もないかもしれません。実際に血を滴らせることをしなければ。

でも、ただの想像任せにはしていませんでした。

最初、本編の劇が始まった時、あの音だけで、これからどれだけ残酷なこと、凄惨なことが起きるかわからせてくれました。このタイタスでは、演奏の平本さんの仕事が大きかったですね。
(途中、ピアニカまで持ってましたよ)

本編の劇の外、視力をなくしたと自白する子に「耳でここにたどり着いた」と言わせていました。音にも注意を向けると、想像を助けることを教えてくれました。観客にとてもやさしい工夫ですよね。

音はリアルな音もあり、過度にリアルに感じさせたくない場合は、よくある効果音に近い音だったり、ほんと、想像を助けて、邪魔しない、でも存在感ある音たちでした。

出演者の皆さま

よかったのは、タイタスですよ!

まさかほんものの能楽師の方を連れてくるとは…!

しずしずと歩かせたり、ゆっくり歩を進めさせて、歩く姿だけで、どれくらい重要な場面に入ったかがわかります。最後のタイタス邸の食卓は、もう「人間五十年」のシーンですよね(信長の幸若舞は、能とは違うそうですが)。

戯曲を読んだ印象だと、タイタスはそんなにちゃんとした人物には見えません。最初の登場で英雄として名前を紹介されてから先、いいところはほとんどありませんから。今回、戯曲からはカットされていた、気が狂ったとされたタモーラと対面する場面では、ほんとにダメになったか…? と心配したくらいです。

でも、タイタスの山井さんの声音一つで、しっかりしてるとわかりますし、そこにタイタスの感情も加わっていました。あ、ここも耳の力のサポートですね。

タイトル通り、これはタイタスの物語でした。

そして、父と娘の物語でもありましたね。
戯曲を読んだ印象だと、タイタス一族とタモーラ、エアロンのシーンの印象が強くて、ラヴィニアの物語という印象はありませんでした。残虐度合で言えば、もちろんラヴィニアのシーンと存在は外せないのですが、残酷なシーンの前と後ろで、強い印象はありません。他でも人が死に過ぎてますし。

でも、今日は、父娘の物語だと感じました。

最初、カクシンハンのタイタス制作の発表がされた時、私は、春名風花さんをSNSで炎上に巻き込まれやすい人、くらいの印象しか持っていませんでした。若くて、しっかりした考えを持った人だという印象は持ってましたが、役者さんとしての印象はゼロでした。これから、カクシンハンのシェイクスピアでどんな人なのか判明すると思っていたのに、そこから、コロナ禍に入り、二度の延期。私ならそんなことあったら、止めてしまいたくなるでしょう。ただの二年じゃありません。二十歳の頃の二年ですよ。

最初の快活さから、タモーラに死を懇願する場面、その後、快活さどころかすべてを奪われたラヴィニアに見入っていました。

「REBORN」がついてタイトルが変わったので、きっと内容も大きく変わったんでしょう。だから、二年も付き合えたのかもしれませんね。最初の「シン・タイタス」はきっと、もっと、シェイクスピア劇らしかったでしょう。今より遊びやサービス精神の要素も少なかったかもしれません。

でも「REBORN」もシェイクスピア劇だと思えたのは、演奏と上の二人を除く17名? の皆さんも、ちゃんとシェイクスピア劇の役回りを演じてたからですよね。男性役を女性、女性役を男性がありましたけど。

もちろんセリフは、ほとんどが戯曲通りのセリフですけど、それ以外の立ち居振る舞い、兄弟の関係、親子の関係、敵国との関係、をちゃんと守れていたように感じます。

タモーラの出産後のシーンはカットされてたシーンの一つですけど、ちゃんと乳母の竹内さんもその出産がいかに驚くべきものかを演技で伝えてくれてましたから。出産後のドタバタ(乳母と産婆の殺害シーン)がなかったので、話の筋を知らない方には、その重さや重大さが伝わったかわかりせんけど、一人一人がちゃんと劇中の役割を全うされてたと思います。

サターナイナスは、気位だけはあって、その気位が邪魔してる感じが雰囲気からわかりましたし、タモーラは男性が演じてましたけど、存在がもうひっかきまわす感がよくわかりました。関係ないですが、タモーラは、最後、刺されて死んだ後、体が動かなすぎです。たぶん、ちょっと死んでんじゃないかと思います。

マーカスの律儀で仕事できそうな弟っぷりもよかったです。

パンフを観ながら、全員一言は褒めれるくらい皆さん生き生きとされててすばらしかったです。皆さん、お顔立ちも特徴的なのでパンフを見れば思い出せます。今は、ブッチさんのお腹の曲線まで思い出せます。

そうそう、もう一つ、役割があった語り部の三遊亭遊かりさん、一人だけ変わった役割を担わされて大変だったと思います。語り部は、シェイクスピア劇にはよく登場しますが、タイタスにない語り部を、深刻になりすぎないよう伝えるという一人だけ違った難しさを背負わされて、それを全うされててえらいです。観客の理解を助けるやさしい役割の一つでした。

最後に

久しぶりに見た劇が、楽しい経験になってよかったと思います。残虐な話なので、楽しかった、という感想も不適切かもしれませんけど、楽しかったです。帰りは、夜風に当たって一時間くらい、劇を思い出しながら、赤羽までゆっくり歩いて帰りました。その時間もお金を払っていいくらい至福の時間になりました。ありがとうございました。

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のーどみたかひろ
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。