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4年ごとに見る未来 ぼんやりしたものが実現する不思議

来年は、2024年。

そろそろあれをやる時期が来た。

オリンピック年を目印にして、そこから4年後に何をしたいのか、書き出しておくのだ。といっても3年前に始めたことなので、これが4年ぶり二度目。

はっきりした目標ではなく「こんな状態になってたら嬉しい」「こんな自分になってたら嬉しい」ことを書き出す。意識的に見返すことはないが、ひっそり意識しておくことで、自分の選択にも影響して、結果、その状態に近づくかもしれない。

2020年の手帳を見ると、13個書いていた。

全然叶ってないこと、ちょっと大きな野望めいたことも書いていて恥ずかしいので、ここには全部を載せることをしないが、5個は叶っていて、叶いそうなことが2個あった。

当時、本気で思っていたことで、今見ても恥ずかしいのだけれど「○○に連載がある」「○○の仕事の依頼が来る」みたいなことも書いている。

小さいことで言えば、
「3日に一度はキッチンに立っている」なんてことは全然叶っているし、
「パートナーがいる」も叶っている。

この13個を見て、今でも同じように叶えたいかと言えば、そんなこともない。ちょっと形を変えて、今でも、そうなるといいな、と思うこともあるし、以前より、経験やスキルを手に入れた今、「何て達成が難しいことを書いてんだ!」とビックリすることも含まれている。

もちろん、書くのは明確な目標だってかまわないが、もし「○○誌の○○コーナーに202X年X月までに連載を開始する」という目標を書いた場合、連載を手に入れるために、雑誌社の人とつながるというアクションも入ってくるだろうし、どうやって連載を手に入れたのか、連載を持った人に話を聞く、なんてアクションも見えてしまうかもしれない。

本当の目標は、自分がつけたいイメージで世に知られて、その連載を持てるだけの十分なスキルがあること、知識があることで、連載自体がゴールではないかもしれない。

だから、「そうだといいなー」とうっすら思っていることを書くことにしている。その方が、人間関係を作る、とか、そこに至る経路を計画する、みたいな本筋じゃない努力のことを考えずに済む。

そして、4年というのがちょうどいい。1年後だと、どうしても具体的にならざるを得ないし、アクションも明確にならざるを得ない。逆に10年後だと周りの環境も、自分自身も変わりすぎている可能性がある。

4年というのがちょうどいい。4年もあれば、書いたことを偶然手にすることだってある。もちろん、偶然にまったく手がかからなかったことも13個の中には含まれている。

確かに2020年に4年後のことを書いたことで、普段から意識していることもありそうだし、コミュニケーションを取る相手も変わってくる。普段の仕事の選択も、より自分の理想に近づくほうを選んでいるかもしれない。

でも、4年後のことだから、仮に、理想には関係ない選択をしても後悔もしないし、イライラする必要もない。だって来月のことや、年内に達成することでもないのだから。

ちょっとハードでもいい。4年後なら許される、少し大きなこと、今の自分にはないけれど、こんな大人になりたかったという妄想に近いこと、やっぱり叶えたい具体的な目標、織り交ぜながら、4年後のことを考えようと思う。

皆さんも、4年後にやりたいことをちょっと考えてみませんか?

2020年の手帳、今年の手帳、2024年の手帳

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