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はじめての「はじめてのトランスジェンダー」その5 Q9 何歳ぐらいからトランスジェンダーと気づきますか
こんにちは。
はじめての「はじめてのトランスジェンダー」その5です。
はじめてのトランスジェンダーというサイトがありますね。
こちらのサイトはトランスジェンダーについて知りたいという人に紹介されることが多いサイトです。
しかし、このサイトには非常に多くの問題点が指摘されていて、トランスジェンダーについてはじめて学ぶ人に対して非常に不誠実な内容となっています。
それをなるべく丁寧に説明していきたいと思います。
Q9 何歳ぐらいからトランスジェンダーと気づきます について
1.母集団の括り方が恣意的である
回答をみてみましょう。
「Q9 何歳ぐらいからトランスジェンダーと気づきますか
個人差があります。岡山大学ジェンダークリニックを受診した人では全体の56%が小学校入学以前から性別違和を訴えていました。幼くして違和感を持つことは決して珍しくないと言えますが、思春期以降に性別違和を自覚する場合もあります。性別違和を抱いていても実際にそのことを言語化し、性別移行して生活することを希望するまでには長い時間がかかることもあります。」
さて、これまで都道府県の調査や全米の調査など、広い対象に対しランダム抽出したデータを引っ張ってきていたのに、
何故かここで急に一つの病院の受信者のデータを持ってきました。
ジェンダークリニックで性同一性障害の診断を受けるのはどういう人でしょうか?
それは、
A.自分自身に性同一性障害ではないかという可能性を感じ、その診断を確定して客観的な証明が欲しい人
B.本当は性同一性障害ではない自覚があるが、診断書という客観的な証明を得ることで女性スペースに入りたい人
のいずれかであることが多いでしょう。
まず、AもBもどちらも基本的に
「性同一性障害の診断を受けたい」と思っている人が多数派なのです。
ですから自分が性同一性障害の診断を受ける可能性が高そうな回答を
選好する意図が働きがちとなります。
Aのケースは人によって「どこまで診断を欲しているか」の度合いが違うでしょう。
「そうではないと確定してほしい人」「本当にどっちか分からない人」も中にはいるでしょう。
でも自分で病院に来るような人たちですから、
やはりある程度そうだと自分でも思っていて
最後の証明を医師にもらうためというケースが多そうです。
Bのケースは本来医師によって除外されるべきですが、
悪意をもって医師を騙そうとしているので
当然彼らは「小学校入学以前から違和感がある」と答えるでしょう。
そういう悪意の者を除外をしきれないケースはあるでしょう。
つまり「ジェンダークリニックに
性同一性障害の診断を受けに来る」時点で既に
トランスジェンダーの中でもかなり選別された人たちなのです。
自分はトランスであるという証拠付けを求めている割合が多い層なのです。
そういう人たちの「56%が小学校入学以前から性別違和を訴えて」いたと回答したとしても、
単純にトランスジェンダー全体の56%が小学校入学以前から性別違和を持っている証拠とはなりません。
「法科大学院進学説明会」に参加した学生の中で法科大学院に進学した学生を数えても、
法学部の中で法科大学院進学を希望する学生の割合は測れません。
「結婚相談所」に相談に来た20代の結婚願望を調べても、20代全体の結婚希望率は分かりません。
「ジェンダークリニック」に相談に来たトランスジェンダーの違和開始時期を調べても、トランスジェンダー全体の違和開始時期はわかりません。
2.トランス運動の中では既存のジェンダーに従わないことを「性別違和」と扱っている
ここでいう「性別違和」とは何でしょうか。
性同一性障害として診断をするならば、
何よりも自身の持つ身体に対する「本来は自分の体はこうではない」
という認識の齟齬および苦痛こそが語られるはずでしょう。
ジェンダークリニックが調べたのはそういうものでしょう。
しかし、トランス活動家達はそういった自身の身体に対する違和と、男女の性役割に基づいた違和を混同して発信することがあります。
次のリンクは、当事者が自身の経験を語るサイトです。
こちらを見ると、人形遊びが好きだった、運動が苦手だった、女友達が多かったと、
身体とは無関係な「女性ジェンダー」に沿った行動がまるで、
自身の真の性別が女である証拠のように描かれています。
フェミニズムにおいては「女性らしさ」は社会によって作られたものに過ぎないということを明らかにしてきたはずですが、
トランスの権利運動では「女性らしさ」が女性の本質として扱われているのです。
しかもジェンダー論を学んだことがない一当事者などからではなく、
当事者支援サイトという活動を推し進める側からそういう発信が行なわれています。
3 ジェンダーに従わない行動は探せば誰でもある
2で紹介したように、トランス活動家は
「性別違和」に既存社会の男らしさ、女らしさの枠組み(以下ジェンダー規範)に従わない行動まで含めているようです。
ですが、既存社会のジェンダー規範に従わない行動など、誰にでもあるものです。
スポーツが苦手な男の子、おしゃれが好きな男の子、ピンクが好きな男の子、少女漫画が好きな男の子、恋愛小説が好きな男の子、ジャニーズ好きな男の子、子ども好きな男の子、競争が苦手な男の子、女の子と遊ぶのが楽しい男の子
スポーツが好きな女の子、おしゃれに興味ない女の子、青が好きな女の子、少年漫画が好きな女の子、理科の実験が好きな女の子、AKB好きな女の子、料理が苦手な女の子、一番になりたい女の子、男の子と遊ぶのが楽しい女の子
むしろこれらのどれ一つ該当しない人のほうが珍しいのではないでしょうか?
既存の社会の「男らしさ/女らしさ」に従わない行動を幼い頃から遡って探していけば誰でも
「あ、そういえば自分は昔からこうだった」という要素を、多かれ少なかれ見つけることはできるでしょう。
多かれ少なかれあるとはいえ、その「多かれ」が多すぎて平均から大きく外れ、
社会的な適応に支障をきたす程の人はたしかにいるでしょう。
しかしそれは「ジェンダー規範から外れた人」であって、逆の性別な訳ではありません。
そこで求められるのは「男はこうであるべき/女はこうであるべき」というジェンダー規範の解体です。
「こうあるから女であるべき/こうあるから男であるべき」と、ジェンダー規範と性別の結びつきを強化するのは
「らしくない」人にとっての足枷となるのではないでしょうか。
4 性役割への違和が不変のものとして描かれている
「思春期以降に性別違和を自覚する」という表現はまるで
「元々性別違和があったにも関わらず、そのことに無自覚であっただけ」というように読めます。
そういう人の存在自体は事実でしょう。否定はしません。
しかしトランス運動の中では、性別違和という語に「可変な性枠割への違和」「不変な性自認への違和」と二重の意味を持たせることで、
見せかけの不変性を演出しています。
しかしそこでいう性別違和が2と3で述べたような性役割への違和であるならば、むしろそこに何の違和感も持たない人が少数派でしょう。
たとえば、下記のツイートはトランス女性によるものです。
(ツイート消去済みのためスクリーンショット貼り付け)
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これを見るとジェンダーの呪い、つまり女性としての性役割を拒絶することをもって「男になったら?」と言っています。
ここでは明らかに身体違和は問題視されていません。
そして、そのような性役割は当然社会状況によって規定される可変のものです。
それでありながら、「自覚する」という表現は不変のものに
偶然気づかなかったかのように聞こえます。
「可変な性枠割への違和」を「不変な性自認への違和」とし描写しているのです。
5 まとめ
以上の事から、以下のことがいえます。
・ジェンダークリニックに受診した時点で元々トランスジェンダーの中でも特に性別違和が明らかな人たちの集団であり、かつ肯定的に回答する動機が強い人たちである。
・よってジェンダークリニックに受診した人の回答はトランスジェンダーの平均値とみなすのは不適切である。
・トランス活動家達は、身体に対する違和と性役割に対する違和を混同して扱っている。
・性役割に対する違和はほとんどの人にある。
・社会によって与えられた性役割に対する違和を、不変のもののように描いている。
Q9については以上です。
目次はこちら
はじめての「はじめてのトランスジェンダー」目次|ヘイトを許さない一市民🐸人権を相対化する改憲に反対|note