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【エッセイ】ゆっくり介護(3)

ゆっくり介護(3)<すべてのものに理由があった>
『介護は親が命懸けでしてくれる最後の子育て』
*この言葉は「ぼけますからよろしくお願いします」(著:信友直子)より


 「雨が降るのかな?」
母がまたつぶやいた。
 「今日は晴天だよ。ほら、外を見て。青空だよ」
私は外を指さし、母に窓の外を見るようにと伝えた。
 「そうか。雨は降るのかな?」
それでも母は雨のことが気になっているようだ。
 「降らないよ。大丈夫だよ」
今日は洗濯物もよく乾くよ。 
 「そうか…」
天気予報では、間違いなく今日は晴天。降水確率は0%。
テレビから今日と明日の天気予報の次に週間予報が流れた。そして今年の梅雨入り予想も。テレビ画面に映し出された週末の天気予報は曇りマークと傘マークがあった。


私はハッとした。母は週末のことを言っていたのか。
母は毎日応接間のソファーに座り、テレビを見ている。どこかの番組で週間予報を見たのだろう。それで「雨が降るのかな?」という言葉を何度も言っていたのだ。
母は母なりに理由があったのだ。

昨年、台風による大雨で大きな被害を受けた。週間予報で雨が降ると知ると、母はその時のことを思い出し、それでラジオをつけたままにしたいと思ったのだろう。
高齢になり、まったく関連のない話を突然始める母だが、そこには母なりの理由があったのだ。

思えば、私たちは、それぞれの人間がそれぞれの基準で話をしている。同じ体験をした人は、その体験内容を共有した中で話ができる。違う体験をしてきたのなら話の伝わり方も違う。それは当たり前のことなのに、高齢となり、突然話し出す母を見ていて、根拠のない話だと思い込んでいた私は、「高齢だから」という意識で母を見ていたのかもしれない。
(来週土曜日に続く)

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