エッセイ『こころ繋がる』
3月だというのに汗ばむ陽気。畑で草むしりをするだけで皮膚の下から汗が湧き出てくる。それは、地面に滲み出てくる水のようだ。一気には出ず、じわじわとゆっくり滲み出る。汗は雨粒のようになり、皮膚についていることに耐えきれず、ゆっくりと流れ落ちる。一粒の汗は次の汗玉と合体し、大粒の汗玉になり一気に流れ落ちる。
その汗を腕で拭き取っている時、自転車で通りかかった人が声をかけてきた。
「精が出ますね」
「草を取って、ここに花の種を撒こうと思っているんですよ」
「ここを通るといつも綺麗にされているなと見ています」
その方の自転車のカゴには何が黒いものが入れられた透明の箱が乗せられていた。
「見てくださいよ。このカメ子ちゃん」
透明の箱から大きな亀を取り出した。
「暑くなってきて、このカメ子ちゃんも動きが急になって、もう大変ですよ」
そう言いながら、亀の甲羅を撫でている。
「この前まで、寒くて動くこともあまりしなかったのに、今は目を離すとどこかへ散歩に行っちゃうんですよ」
近くによると、ツルツルの甲羅に綺麗な模様が刻まれているように見えた。古代の遺跡に石に刻まれた何かの模様のようにさえ見える。
その方は、亀の甲羅を撫でながら話を続けた。
「犬や猫みたいに表情は伝えないけど、亀も可愛いのよ」
そう言うと、亀がその方を見上げるそぶりをした。わたしは偶然だと思ったが、そうでもないようだ。
「こうして、わたしの表情を見るのよ。カメ子は表情を伝えないようだけど、表情を伝えなくても何か通じてるって感じがするの」
地面に亀を置くと、亀はその方を見上げ、まるで安心したように、ひょこひょこと土筆の出ている草むらに入っていった。そして、満足したように草むらから出てきたのだ。
表情を伝えなくても、こころは繋がっている。
愛情は言葉も表情もなくても必ず届いている。
表情を伝えても、こころが繋がらないこともある。
愛情なき表情は、誰にも届かないのかもしれない。