こんな夜更けに、、
母からは、よく電話はかかってきていた。
就職して、母の症状が悪化してきてからは特に、よく電話で喧嘩していた。
というのも、だいたい正常ではない母が、激高した状態で電話をしてきて、電話口で私への文句をガンガンに言ってくる。
私も、なんでそんなこと言うのよ!と、こちらもガンガンに怒って文句ぶつけて、ボロボロに泣きながら、最後はもうヘトヘトに疲れ果てて切って終わるという感じだった。
どれくらいの時間しゃべっていたとか、どのくらいの頻度でかかってきてたかは忘れたけど、とにかく母が激高したタイミングなので、かかってこない週もあれば、連日かかってきたりとか、真夜中にかかってくることもたまにあった。
ある時、友達が泊まりに来ていた時のこと。
夜中2時くらいだったか、電話がかかってきた。
とらなくてもよかったのかもしれないが、とらないとまたうるさいので、電話をとったのかと思う。
やはり怒り沸騰の母だった。
この日の母は、いつになく激高していた。
散々、ひと通り激しく文句を言われて、最後に、
「あんたなんか産まへんだらよかったわ!」
と言い放って、ガチャリと電話を切ってきた。
あぁそうですか。。
この手のフレーズ、たまに言われることはあったけど、夜中のわざわざとってやった電話の締めに言われんのは、やっぱり胸くそわるかった。
あー腹だたしい。
なんだか眠れなくなって、起き出して、気晴らしに煙草に火をつけた。(この時は喫煙者でした)
友達も起きてしまったようで、「大丈夫?」と声をかけてくれて、彼女も起き出して、煙草に付き合ってくれた。
「ごめんね、起こしてしもて。」
「母親に、あんたなんか産まへんだらよかったわって言われたわ。」
と、自嘲するように話すと、彼女は、
「私がお母さんからそんなこと言われたら、とてもとても悲しいと思うわ。」
と言っていた。
あぁ、そうか、悲しいのか。
彼女の家族はみんな仲良しやし、そんなこと言われたら、本当にとても悲しいのだろうなと、よくわかった。
そして、本当なら悲しいのかもしれないなぁと、彼女の言葉で、少し気づいた。
今思えば、母も本気で言ってるわけではないのもよくわかる。
本気で産まなきゃよかったと思っていたなら、私はとっくにこの世からいないだろうし、
娘として、それなりに可愛がって育ててくれたこともわかっているし、こうして私に頼って甘えて罵倒しにきてることからも、私を産んでよかったはず!と思っている。
病気の症状ではあるけれど、何か甘えみたいな、
親子だからこそキツい文句を言い合いながら甘え合って頼り合って、この電話での激しい口喧嘩バトルも、この時の私達、母子ならではのコミュニケーションだったのかもなと、今なら思える。
そう思うと懐かしく、愛おしいようにも思う。
母も私もまだ若かったなぁとか、今ならもっと違う形で落ち着いて話せただろうかとか。
でも、それは今、母も亡くなって、20年程経って振り返って思うことで、、その当時はそんなどころではなかったけど。
あ、それで、『こんな夜更けにバナナかよ』に引っかけて、
『こんな夜更けにアンタなんか産まへんだらよかったわかよ』ってなわけで。。
これを書いた後、、なんだか泣けてきました。
母への愛や憎しみみたいなのがいろいろ混ざって押し寄せてきて、母をまた少し許せたのかもしれません。
また一つ、何か、浄化されたような気持ちになりました。
写真のバナナの"甘さ実感" も、なんだか感慨深いです🙏