障害者が正直に生きるってわがままにやるしかないのかなぁ!映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見たよ
突然ですが、バナナになりました。
何言ってんのって思いましたよね、自分もそう思います😆
今流行りのメタバースの話です。VRの世界でバナナのアバター買ったんです。これがなかなか好評でした。
ということで、バナナになろうとwww
ちなみにスーパー行くと、大概バナナ買ってます。これ先日買ったバナナ!4本中3本食べましたwww
うちはポテチは争奪戦になって、誰のほうが食べた量多いとかつかみ合いになるのに、なぜだかバナナは不人気!
ということで、家で一番のバナナ好きなのでこれからバナナになります!
と、バナナ宣言をしたところで、バナナ人としては避けて通れない映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見ましたよ!
感想はシンプルによかったな。
主人公は大泉洋演じる障害者。筋ジストロフィーを患っていて、指が少しと首を少し動かすぐらいしかできない。
これがわがままで深夜にバナナ買ってきてって。ちなみに、時代背景はわからないものの、コンビニが普及なさそうな時代。
多分、以前だったら障害者なのに、わがままってけしからんと思ったと思う。でもね、障害者だって自分の心に正直になる権利があるんだよね。
映画を見てて、思い出したのがこの記事。
この記事は分身ロボットOriHimeの開発者の吉藤オリィさんのインタビュー記事です。中でも印象的なのがこの部分。
番田はよく「明日死んでもいいから、好きなことをしたい」と語っていました。「生かされている」のではなく、たとえ迷惑をかけたとしても「生きる」ことを求めていたんです。自分の意志で周囲にアクセスし、やりたいことを実現する方法を探す。2017年に亡くなるまで、「生きたいというわがまま」を貫いた人生でした。
人はだれでも自分の心に正直に生きる権利がある、それは異論がないと思う。
でも、障害者の場合24時間だれかの介護が必要。だれかのお世話になっている状況。そうなると、自分の心に正直となるとわがままになるしかないのかなと。
先程の記事でもありがとうの負債ということに触れている。
私は「ありがとうの負債」というものがあると考えています。例えば、被介護者が「ありがとう」「ありがとう」……と繰り返していると、いつの間にか「いつもごめんなさい」に変わる。さらに、「社会や周囲の人に迷惑をかけている自分は生きていても意味がない」という思いにすら陥ります。
だれかのお世話になってるとどんどん追い込まれるんだろうな。それをふっ飛ばすには、わがままになるしかないのかな、そんなことを感じた。
ということで、とってもとっても障害者についてとか、人はどうあるべきとか、色々と考えさせられるいい映画だと思いますよ、オススメ!