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あにの 合流の話

 あにが小学生の頃、風邪をひいて寝込んでいるときに、母が一冊の本を買ってきてくれました。

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 こち亀でおなじみロボット三等兵の作者、前谷惟光による落語漫画集。

 その後ホール落語のチラシを見つけて足繁く通うようになるまでのことは以前落語の話のときにもお伝えした通り。

 今はなき名人上手をたくさん見てきました。

 紙切りでおなじみ二楽師匠の父、林家正楽師匠。

「ちゃんらーん!」でおなじみ林家こん平師匠。

 声帯模写の江戸家猫八師匠。元小猫ではなく2代目でした。

 そして、三遊亭楽太郎……。先日亡くなった6代目円楽師匠ですね。


 親友の立山くんに勧められて以来小学生にして毎週笑点を楽しんでいたあににとって、初めて生で見たテレビに出てる人でした。前年に府中市ふれあいフェスタで見栄晴さんにサインを貰っていますが、テレビで見たことがないけど周りの友達のテンションが上ってるのに乗っていただけなので、これはノーカンです。

 落語協会分裂騒動寄席若竹閉鎖のせいで定席に出ることができなかった5代目圓楽の弟子はホール落語に力を入れていたなんて話を何処かで見聞きした覚えがありますが、そのせいか楽ちゃんは何度か拝見した覚えがあります。もっとも当時なんの話をしてくれたのかは、正直あまり覚えておりませんが。たしか湯屋番は聞いたことがあると思うのですが…それでもあにの中ではしばらく落語家といえば楽太郎でした。こん平師匠や猫八師匠は漫談しかしなかったなか、たっぷり落語を聞かせてくれたというのも大きいです。


 あにが高校生の頃、声優の國府田マリ子さんがスキでした。当時月曜の深夜に文化放送でラジオをやっていたのですが、なにせ深夜2時までやっている番組。早寝ゆっくり起きのあに青年には最後まで聞くのはつらく、よく寝落ちていました。また視聴環境も良くなく、録音してみても雑音がひどく歯痒い思いをしていました。
 そんな折、同級生の中橋くんが同じく國府田マリ子さんのファンであるということを知り意気投合。ラジオを録音したカセットテープを貸してもらったり、録音に失敗したときは雑音いっぱいでごめんねと添えてその週一応録っておいたカセットテープを貸したりといったことをしていました。

 カセットテープなんてアイテムが出てくるとなんかいつもの話よりも時代を感じますね。

 そんなある日、中橋くんが「ラジオ聞くなら、ぜひこれも聞いてみてくれ」といって渡してきたのが「伊集院光のup's深夜の馬鹿力」と書かれたカセットテープでした。

 正直ちょっとめんどくさいなーなんて思いながら聞いたその番組のなんと面白かったことでしょう。始めのうちこそ中橋くんにテープを借りて聞いておりましたがそれでは待ちきれず、部屋のコンポのアンテナ端子から針金を縦横無尽に張り巡らせ、すこしでも雑音が減るよう工夫をしつつ録音して聞くようになりました。文化放送よりもTBSラジオのほうが入りやすかったのも追い風となりました。

 もうすっかり虜。おかげさまで影響を受けやすいあに青年は、すっかり世の中を斜に構える皮肉屋を気取りたい子になってしまいました。あいたたた。


 時は流れ…

 あには社会人となり、結婚して子供もでき…

 楽太郎は円楽となり…

 伊集院は昼の帯番組を担当するようになり…

 そんな昼の番組で、伊集院の師匠である円楽がゲストとして登場し、なんやかんやで親子会の開催が決定するのです。

 2人の師弟関係はラジオでも何度も話しており、共演も何度もありました。しかし親子会ですよ! 伊集院光が落語家として高座に上がる、しかも師匠円楽と!

 小学生の時と高校生の時の別々に、されどずっと好きを続けていた2つの道が奇跡の合流ですよ!

 落語ファンとしては「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」なんて業平の歌が出てきちゃうようなゴキゲンな企画ですよ!

 まあチケットとれないよね!!

 発売即完売。オークションサイトに10倍の値段で並ぶチケットを見て、転売ヤー殺すべし慈悲はないインガオホーと思いまたよね。

 公演は大成功に終わり、次は福岡か札幌か東京かなんて話をしているさなかに、円楽師匠の病気が発覚。その後はみなさまご存知の通りです。残念なんてものじゃない。

 伊集院光の深夜の馬鹿力、普段はエンディングトークに英語版蛍の光がかかってきて「And we'll tak a right gude-willie waught,for auld lang syne.」で番組が終わるのですが、先週の、円楽師匠がおなくなりなった直後の放送ではその後、寄席でその日の演目が全て終わったあとに叩かれる追い出し太鼓が流されておりました。
 ああ見えてキザでロマンチストな伊集院から師匠への告別の気持ちだったのでしょうか。
 それとも伊集院自身が、今後落語をやることはない、落語界との決別、自身の落語家としてのキャリアの終わりを示すものだったのでしょうか…。



 以前伊集院と師匠が昼のラジオで数週に渡って対談のコーナーを持った際に、今回の話の前半
「伊集院と師匠が親子会をやるぜワッショイ!でもチケット取れなかったぜ!」
ってとこまでと
「通販で購入したパンフレットに載っていた写真、伊集院がラジオで自慢していた、めうが屋の足袋もイイけど、師匠の足袋は足にピッタリ白のペンキを塗ったみたいにフィットしててかっこいいね!他にこだわりある?」
って話を投稿しました。

 残念ながら採用されることはなくコーナーは終了してしまったのですが、それから2ヶ月ほど経ったある日、我が家にこんなものが届きました。

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 師匠がやってる別の番組で採用されてるー!

 うれしすぎる! しかし悔しすぎる!

 聞ける放送局ではネットしていないため師匠のラジオは聞いておらず、採用が8月31日なのでラジコプレミアムに登録したところでタイムフリーでも間に合わず(届いたのは去年の10月末)、結局どんな紹介の仕方をされたのかわからないまま1年が経ってしまいました。

 中橋くん、録音しててくれないかなぁ……



 人がお亡くなりになる話を書くと、その人のことについて何度も真剣に考えるためか、今更しんみりしてしまったので、今夜は採用されたノベルティーとして頂いた日本香堂のお香を焚いて、六代目三遊亭円楽への手向けにしようかなと思います。

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