あにの お正月の話
みなさまあけましておめでとうございます。
本年もどうぞふたりののはなしと兄弟をよろしくお願いいたします。
さて、早いところではもう仕事も始まって(そもそも元旦から開いてるお店もたくさんありますが)今更お正月もないものですが、お正月の話です。
ごあんないの通り小中学生時代の兄弟は、夏冬の休みは岡山の田舎で過ごすのが定番でした。もちろん両親も一緒です。
甘いものが大好きで動くのが大嫌いなあに少年は、祖母が作ってくれた二の重いっぱいに詰め込まれた大好物の栗きんとんを食べながら、テレビのつまらないお正月特番を見つつゴロゴロするのが毎年の決まりでした。
小学生の時のある歳のお正月。2日だったか、3日だったか。山とギターをこよなく愛する父があに少年にいいました。
「おう、山いくぞ」
お父様、言っている意味がわかりません。
晴れの国おかやまとはいいますが、1月の岡山北部といえば日本海から吹きつける季節風が全て雪となって降り積もり、山間部ともなるとそこそこな積雪量を誇る土地ですよ?
「無事に帰って来れたら今夜は焼き肉だから!」
それじゃしょうがねーな!
父の言葉に含まれる無事に帰ってこれない可能性とやらには気が付かないまま、あに少年の真冬の大冒険が始まります。
那岐山(標高1,255m)
氷ノ山後山那岐山国定公園にも指定されている中国山地の秀峰。
春には新緑が芽吹き、夏になると緑はいっそう深くなり、また、秋には木々が織り成す可憐な色に装いを変え、そして冬には雪化粧など、季節ごとに自然と調和した雄大な姿を見ることができます。
古くは那岐の仙(なぎのせん)と呼ばれ、神話のイザナギ、イザナミがこの峰に君臨した伝説に由来するとも、近隣の後山との高さ比べに負けて泣いたことから「ナキノセン」になったとも言われています。
(奈義町観光サイトより抜粋)
まさか真冬に高尾山の倍もあるような、雪化粧と言うにはだいぶ厚化粧な山に登ることになろうとは。
とはいえこの那岐山。
我が一族では定番のお散歩スポットで、舗装こそされていないものの登山口から山頂までしっかり整備されており、小学生の足でも割と楽に登ることができます。夏なら。
案の定登山口からすでに足首程度の積雪。
そこにトレーナー、半ズボン、スニーカーの小太りメガネ小学生。
明らかに場違いです。坂本眞一の漫画版孤高の人で学生時代の主人公がうっかり遭難しかけたときだってもう少しマシな格好をしていました。
子供の頃の兄は大変に燃費が悪く、少し動いただけでもすぐ体温が上がってしまい、運動グセがなかったもんだから発汗で体温を下げるという機能がきちんと働いておらず、体温の調整は主に着衣によってなすしかありませんでした。
それは真冬の雪山でも同じ。
雪山にタンクトップ少年の誕生です。
すれ違う登山客がみんな
「ありゃ! この子肩切り(タンクトップのこと)で登っとる!」
と驚いております。
無理もありません。
僕だって今雪山でそんな子供見かけたら、親の虐待か矛盾脱衣(雪山で遭難した人が服を脱いだ状態で発見されるやつ)を疑うことでしょう。
登り始めは足首程度だった雪も大神岩を過ぎた頃には腰までになり、うっかり吹き溜まりに踏み込んでしまうと首まで雪に埋もれてしまい、すぐ後ろを歩く父に救出を求めることになるような状態でした。
寒気に対する防御力がゼロの状態で、雪に埋もれつつ進むこと数十分。
お腹もすっかり冷えてしまいます。
そうなると当然、とある生理現象が起きます。
……ぷぅっ
想像してください。
大晦日からお正月にかけて毎日ごちそうばかりを食べ、特に大好物の栗きんとんを毎日お重にいっぱい食べている小学生のおなら。
もうね、命の危機を感じる香りでした。
発生源の本人ですらそうなのですから、すぐ後ろで直撃をくらった父はたまったもんではなかったでしょう。
「う、うわあああああああっ、なんじゃこりゃああああああああああ!」
息子を置き去りにして雪の斜面を駆け上って逃げてゆく父の背中を見て、親子の縁というものの不確かさ、頼りなさを学ぶあに少年でした。
その日の晩御飯はおうどんでした。
あに少年は人を疑うということを学びました。
あにはウィキペディアの八甲田雪中行軍遭難事件を読んでるとなんだか他人事のようなきがしません。