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あにの 御三家の話
こんにちは!
おとおとの校了がおそくて記事を書くタイミングがすっかりずれてしまったことに一抹の不安を感じているあにです。また一週、特別編でお休み挟んで調整しようかしら。
さて、御三家の話です。
みなさまは御三家と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
尾張、水戸、紀州の徳川元祖御三家でしょうか。
橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の昭和歌謡の御三家でしょうか。
それとも郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の新御三家のほうでしょうか。
ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネの初代御三家ポケモンを思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。あにはヒトカゲを選んだせいでカスミにずいぶん苦労をさせられました。
そんな人の数だけあるであろう御三家ですが、あにと同じアラフォー世代にの中にはこれを選ぶ方も多いのではないでしょうか。さああのテーマソングにのせて皆様もご一緒にどうぞ!
じゃじゃまる!
ピッコロ!
ポーロリー!
そうですね。ご存知おかあさんといっしょ内人形劇、にこにこぷんの仲良し三人組、じゃじゃまるピッコロポロリですね。ちょうどよいフリー素材が見当たらないのが残念です。
82年4月放送開始で92年にドレミファどーなっつが始まるまでの10年間NHK教育(現Eテレ)の大看板であった3人組は、81年生まれのあににドンピシャで、じゃーるぴっとろぽーい(じゃじゃまるピッコロポロリ)の顔は親の顔より見てそだちました。特に泣き虫のポロリ派でした。
おかあさんといっしょの番組内では志ん輔ショーとさよならマーチが大好きで「そろそろ門がしまっちゃうー、ほーらつかまえた」で捕まえてもらうのが何よりの夢でした。たまに番組編成上の都合か、門が閉まらないバージョンのときは一日しょんぼりしていたものです。
そんなあにの様子を見ていた両親が、ある朝とんでもないことを言い出しました。
「あに、じゃじゃまるピッコロポロリに会いに行くよ」
なんですと!?
おいおい、おとうさんおかあさん、知らないのですか? じゃーるぴっとろぽーい(じゃじゃまるピッコロポロリ)はテレビのなかの生き物で、現実には存在しないんですよ? それに会いに行くだなんていかに幼いあにでもそう簡単に騙されたりは……いや、まてよ? 最後の歌のコーナーにはあにと同じくらいの小さな子がたくさん一緒に出ているではないか……つまりあの、スタジオ収録の超高倍率狭き門をくぐり抜けた精鋭たちの中に、あに少年も仲間入りということですか!?
「かーしゃん、ほーらつかまえた、してもらえる?」
「してもらえんじゃない?」
なんと頼もしい言葉! 今思うとなんの確証もなく極めて適当に返事をしていたのがわかるのですが、当時まだ義務教育を開始すらしていないあに少年にはそんな母の言葉の機微を読み取ることは出来ません。さっそく父の運転するギャランシグマでうきうきドライブに出発です。
やってきました公開収録
………なんだかいつもテレビで見てるスタジオ収録と違います。
ステージの上にいるじゃーるぴっとろぽーい(じゃじゃまるピッコロポロリ)。ほーらつかまえたどころか、手も届きません。話が違うじゃねーかの気持ちが10%。
本物の!
じゃーるぴっとろぽーい(じゃじまるピッコロポロリ)が!
目の前に!
の気持ちが300%!
あに少年、これまでの人生で最高のテンションです!
いつもテレビで見ているじゃーるぴっとろぽーい(じゃじゃまるピッコロポロリ)が、いつもテレビで見ている歌をうたって、いつもテレビで見ている踊りをおどっているのです!
しかもデカい! いつも14型のブラウン管テレビで見ている姿と違ってとにかくデカい! 体感的には大好きな超電子バイオマン(グリーンツーが特に好きでした)のオープニングラストでポーズを取るバイオマンの後ろにいるバイオロボくらいの大きさです! お得感満載です!
たとい手が届かなかろうとも、たといほーらつかまえてもらえなかろうとも、ここで日々磨いてきた歌と踊りを披露しなくていつ披露するというのでしょうか!
レッツ! ダンシン!!
その時あに少年、気がついてしまいました。
産湯を浴びておくるみを着た時以来のにっこにこの笑顔で注がれる両親の視線に。
歌いたい。
踊りたい。
でも、両親には見られたくない。
このシャイなあに少年の気持ち、皆様にもご理解いただけますでしょうか。
普段ほとんど家にいない父と、家事に追われる母のスキをついて自主練していた踊りです。人前で披露するという経験がありません。
見ず知らずのちびっこたちや、各々のご家庭のちびっこ達に夢中のお父さんお母さんという有象無象の中で歌い踊るのならいざしらず、初対面以来の上機嫌で、なんなら自慢のCanonのカメラまで構えている両親の前では……あたし、踊れない!
当時のあにの様子を見た井上陽水が、後日「ダンスはうまく踊れない」を作詞したというのはあまりにも有名な話。うそです。陽水のほうが先です。
そうこうしているうちに楽曲は進んでしまいます。焦るあに少年はいいました。
「とーしゃん、かーしゃん、ボクおどるけど、はずかしいからみないでね! ここでまっててね!」
「わかったわかった」
両親まさかの快諾。
今思えばあまりにも心のこもっていない「わかったわかった」ですし、そもそも驚異の人混みの中、幼い息子から目を離せるはずもありません。
しかしまだへその緒を切った痕も乾ききってないあに少年に、そんな両親の言葉の機微を読み取ることは出来ません。
喜び勇んで子どもたちの輪に突入するあに少年!
うたい狂うあに少年!
踊り狂うあに少年!
同じアホなら踊らにゃソンソン! 日頃鍛えたノドと踊りをいかんなく発揮して、大満足の一日でした。
数日後。
父「この前の写真できたよー」
そこには全力で歌い踊るあに少年の姿が。
あに少年が初めて人を疑うことを知った、少しだけ大人になった日の話でした。