これまでの35年間
こんにちは、のぐちです。
「どんな人生を歩んだら、30代で会社を辞めてイタリア留学することになるのか?」
と自分でも不思議に思い、これまで35年間の人生を振り返りました。時間の許す方は、是非最後までお付き合いください。
基本情報
1989年(平成元年)生まれ、九州出身、35歳です。大学進学を機に上京し、そのまま東京で就職して7年間働きました。その後、Uターン転職で地元に戻り、5年間ほど働きました。
2024年9月からイタリアの大学生になり、イタリア語やイタリア文化を勉強します。
小学校時代
絵を描いたり、何かを創ったり、図工の授業が得意な小学生でした。小学4年の時に、県内の絵画コンクールで最優秀賞を取ったこともあります。ばあちゃんは自分が絵描き(画家)になると思っていたようですが、残念ながらそこまでのレベルには達しませんでした。
転機が訪れたのは、小学校5年生の時です。
「英会話教室行かない?」
友達に誘われて、近所の英会話教室に通い始めました。そこで初めて外国語学習の面白さに気づきます。この頃はまだ学校で英語の授業がなかったので、先生が教えてくれる英語がとても新鮮でした。毎週楽しく通っていたのを今でも思い出します。
中学校時代
目立たない地味な学生でした。いわゆる陰キャですね。
親の転勤・転校の関係で、卓球部と陸上部の二つに所属しました。当時流行っていた「テニスの王子様」の影響で本当はテニス部に入りたかったんですが、通っていた中学にはありませんでした。卓球は1年しかやっていないので上達する前に終わり、陸上は800mでなんとか県大会に行けるレベルでした。
得意科目になった英語
勉強はというと、小学校から英会話教室に通っていたおかげで、英語は一番の得意科目になりました。一方で、数学と理科はまるでダメ。中学1年生の数学からつまづき、「3-(-5)」みたいな計算すら間違えてました。この頃から文系に進む運命は決まっていました。
将来の夢
当初は社会の先生を目指していたのですが、中学2年生の時にフジテレビのバラエティ番組「はねるのトびら」「めちゃイケ」にハマり、「フジテレビで働きたい!」と思うようになりました。
フジテレビで働くためには大学に通う必要があったので、とりあえず大学進学を目指すことに。高校受験では、苦手だった理科と数学を英語と社会でカバーして、近所の公立高校の普通科に進学しました。
高校時代
入学してすぐのテストで「320人中284位」という成績を取ってしまい、出鼻を挫かれた高校生活が始まりました。また、部活は念願のテニス部に入りましたが、センスなし&徐々にやる気もなくなったので、高2の時に退部しました。
その後は、帰宅部として塾に通いつつ、友達とマック・ファミレス・カラオケに通い詰める日々。当時はパッとしない高校生活だなと思っていたのですが、今思い返してみると、人生に大きく影響を及ぼした出来事がたくさんあったようです。
世界史との出会い
高2への進級時、予定通り文系を選択。自分が通っていた学校では日本史か世界史を選べたのですが、迷わず「世界史」を選びました。日本にあまり興味がなく、世界のことを知りたいと思ったからだと思います。これが大当たりでした。ヒロコというお茶目で愛されキャラの先生の楽しい授業のおかげで、世界史は英語に並ぶ得意科目になりました。
世界史の中でも特に好きだったのが、ローマ教皇やルネサンスの時代でした。カタカナだらけの皇帝の名前を覚えるのも楽しかったですが、資料集に出てくるイタリアの世界遺産にロマンを感じていました。「いつかイタリアに行ってみたい」と何となく思い始めたのでした。
タイからの留学生
これもまた高2の頃の話なのですが、クラスにタイから留学生がやってきました。自分のクラスに外国人留学生が来るなんて初めてです。まだ海外にも行ったことがなかった自分にとっては、留学生に興味津々でした。
ほどなくして留学生とは仲良くなり、一緒に遊びに行ったりもしました。そんなことをきっかけに、小遣いでタイ語の学習本を購入し、タイ語を勉強しました。簡単な挨拶や文を留学生に喋って通じた時の喜びを通して、外国の言語や文化を学ぶ楽しさを体感しました。元々英語は好きでしたが、外国語学習がより好きになりました。
※留学生の帰国後、タイ語の勉強を辞めてしまいましたが、タイは好きな国の一つです。
初めての海外旅行
人生初めての海外は、高校の修学旅行で訪れた「ニュージーランド」でした。現地の高校生と交流したり、マオリ族の文化を学んだり、ファームステイをしたりと盛り沢山な1週間でした。
文化も言語も異なる外国で過ごした修学旅行を通して、海外により興味が湧きました。「海外留学してみたい」と思い始めたのは、ここが原点だったのかもしれません。
高校卒業後の進路
中学生の頃は「フジテレビで働きたい!」と思っていましたが、高校生になってからは「マスコミ関係の仕事に就きたい」という考えに変わりました。芸能人や業界人とか、華やかな東京らしい生活に憧れていたのかもしれません。
・国立の大学に行ってほしい(親からのリクエスト)
・上京したい
・国際関係の勉強をしたい
・海外留学してみたい
という条件で、関東の国公立大学から志望校を決めて日々勉強しました。
ただ、英語と世界史以外の勉強は好きではなかったので、夏休み明けに成績が伸び悩み、元々B判定だった志望校がC〜D判定になりました。でも、浪人はしたくなかったので、センター試験の結果をみて受験校を決めることにしました。結果的に、センター試験の比重が高く、2次試験が英語のみだった第2志望の国立大学を受験し、無事に合格しました。
大学時代
念願の上京を果たし、大学生デビュー。髪を染めて、(テニスをする気はないけど)テニスサークルに入り、バイトを始め、渋谷や新宿で遊び、授業が終わってアフター6でディズニーに駆け込んだり、絵に描いたような大学生活を送りました。九州の田舎から出てきたので、何もかもが新鮮でした。
本当に楽しくてあっという間の4年間でしたが、肝心の勉強は最初おざなりになっていました。
想定外の出来事
夢と希望を抱いて大学に入学し、ワクワクした気持ちで「国際政治」「国際経済」「国際法」などの講義を履修したものの、
「え?なんか思っていたのと違う」
となり、入学してすぐに「この分野は4年間も勉強し続けられない」と思いました。世界史のような勉強をイメージをしていたのが悪かったのですが。
また、あれだけ得意だった英語も単位を取るための勉強しかやらず、英語力はどんどん落ちていきました。
その後、サークルとバイトに明け暮れるようになり、楽に単位が取れる授業を探し、大学1〜2年の時は必要最低限の単位を取得してやり過ごしました。
バイト人生
サークルも最初は楽しかったのですが、次第にバイトが楽しくなり、バイト仲間と過ごす時間が増えてきました。違う学部の同級生、バンド活動をしている人、地元の大学生や高校生、みんな年齢が近いのでサークルみたいな感じでした。
「バイトが楽しい→シフトにたくさん入る→お金を稼げる→バイト仲間と遊びに行く」という好循環(!?)です。
毎日バイトが終わった深夜から遊び始め、朝帰りして寝るのは朝6時頃。気づけば午前中の講義は取らなくなり、堕落した大学生活を送ることになります。
唯一の後悔
大学入学前は「海外留学に行けたらいいな〜」と思っていましたが、あまりにもサークルやバイトを含む大学生活が楽しすぎて、次第に海外留学に対するパッションは薄れていきました。というのも、国際関係の勉強も断念して、英語も興味がなくなって、英語圏に留学に行くモチベーションもなくなっていました。
当時は楽しかったのでそれほど気にしてはいなかったのですが、いざ卒業という時に「海外留学できなかったこと」が唯一残った後悔となりました。
広告・マーケティング
ここまで読んでくれた方は、「なんてクソみたいな大学生活を送ってんだ!」と思ったでしょう。
でも、実は大学3年生から勉強にのめり込みました。
国際関係の勉強は諦めたものの、魅力的な恩師に出会い、「広告・マーケティング」を専門とするゼミに入りました。学部の中でも一番キツいと言われるゼミで、何度も徹夜をしました。ただ、勉強している内容はやればやるほど奥が深く、すごく楽しかったです。
「マスコミ関係の仕事に就きたい!」と思って進学しましたが、ゼミを通して「広告系の仕事もありかな?」と考えるようになりました。
初めてのイタリア
無事に就活を終え、バイト仲間でもある親友と卒業旅行を計画しました。
ヨーロッパ方面というのは合意していて、あとはどの国に行くか決めるだけ。「フランスとイタリア」か「イタリアのみ」で迷っていましたが、最終的には自分がゴリ押しして、イタリア周遊12日間の卒業旅行となりました。
イタリアを選んだ理由は、高校の時に勉強した世界史の影響が大きかったと思います。
「世界史の資料集の表紙になっていたピサの斜塔を見たい」
「ローマもヴェネツィアもフィレンツェもミラノも全部見たい」
と生協にリクエストし、旅行プランを作ってもらいました。
当時は1ユーロ=100円の円高だったので、イタリア12日間の往復航空券・各都市を移動する電車代・ホテル宿泊費、全部コミコミで約15万円でした。今じゃ考えられない価格ですよね。
この卒業旅行でイタリアを訪れた事が、のちに自分の人生を大きく変えることになります。
この卒業旅行の思い出は、また別の記事で書きますね!
社会人時代
大学のゼミで学んだ「広告・マーケティング」の面白さに目覚め、広告会社での社会人生活がスタートします。
※ちなみに、フジテレビを含むキー局5社の採用試験は記念に受けましたが、肝心のフジテレビは書類選考で落ちました。
1社目(東京)
とにかく忙しかったです。入社5年目ぐらいまでは、毎日終電まで働きました。深夜に電話はかかってくるし、休みの日も家でも仕事することもあるし、終電を越えて始発で帰ることもありました。ただ、仕事自体は好きで面白かったのと、一緒に働く同期や先輩に恵まれたのが幸いでした。
そんな社畜生活の最中、2014年4月に始めたのがイタリア語です。
また、大学時代に海外留学できなかった後悔が残っていたので、1週間の休みを利用してイタリアの語学学校に3回留学しました。
※短期留学の話は、また別の記事で書きます!
最初はキツかった仕事も慣れてきたら上手くこなせるようになりましたが、自分でもやりきったなというタイミングで辞めました。7年間働きました。
2社目(九州)
広告会社で地元・九州の案件を担当したことをきっかけに、地方創生やローカルな仕事に興味が湧き、地元の会社にUターン転職しました。自分の専門はWEB系なので、会社ではHP管理やSNS運用・WEB動画制作などを担当していました。
地方の小さい会社なので、社長や役員・上司との距離も近く、いろいろ挑戦させてもらえる機会も頂きました。本当に辞めるのがもったいない会社だなと今でも思います。
しかしながら、「2024年にイタリアに留学する」という決意は揺るがなかったので、5年間ちょっと働いて退職し、12年間の会社員生活に終止符を打ちました。
※転職した時はイタリアに留学するつもりはありませんでしたが、2020年に起きたコロナの影響で人生を見つめ直しました。これもまた別の記事でお話しします。
イタリアの大学へ
こんな人生を歩んでいたら、35歳でイタリアの大学生に。
2024年の9月から、トスカーナ州のシエナ外国人大学(Università per Stranieri di Siena)に通います。3年間の学士課程で、イタリア語とイタリア文化を専門的に勉強します。
おわりに
このイタリア留学は間違いなく「人生の節目」となる出来事なので、真面目に振り返ってみました。意外と点と点が繋がり、線になっているもんだなと。
35年間、生きててよかった!
長くなりましたが、ここまでお読み頂き本当にありがとうございました!