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夏の畑 ひねもす のたりのたり哉

とはいきそうにありません。コロナ禍で中止も考えましたが、あくまでも学生支援として始めたことなので、学生の意向に沿って開催しています。困窮になればなるほど、沢山の連絡をいただくという現状になっており、しかし密は避けたいので最低限の人数と、消毒なども徹底させていただいております。

8月10日11時から14時の参加者と、落花生畑にて今回も夏野菜の手入れ(主にきゅうりの管理)をして雑草むしりをしました。

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その場で食す、きゅうりにトマト。今回は差し入れで梨もいただきましたので、これを畑で食べる。なんという贅沢。しかし、暑い。この日の気温は34度。4人で6リットルのお茶+氷があっという間になくなる。雲があるので日照りは強くなかったのですが、とはいえ半分は休憩して水分を摂って草むらにゴローンとして、また少し作業というような感じでした。のんびりやろうぜ。

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前回の投稿(https://note.com/nogitama/n/n4f440416cc85)で「資本主義と農本主義はうまくやっていけるという農学者の論説もある。次回に紹介したい。」としましたが、この学生支援と農業体験を機にnoteをはじめたので、ゆっくり順序よくまとめながら紹介していくこととしました。

学生たちと畑にいると、必ずと言っていいほど「珍しものを見るような顔」をした人から声をかけられます。こんにちは~と挨拶をすると、「何してるの?」と言われるので「畑なので畑作業ですね」という。すると畑にいて畑作業をしていることに驚かれる。「若いのに珍しいね」という具合で、会話が続きます。更に驚かれるのは「全て手作業」という点です。例えば、農耕機を使えばものの5分で終わるスペースを1時間半ほどかけて作業します。また雑草むしりなども、極力は鎌を使用しないので、効率で言えばとても悪い。「それは効率の悪い。こうしたらいいよ」などとアドバイスを受けるので、そのときには気にかけてくれたことへの感謝の御礼をする。しかし、効率や生産率を気にしていたらわざわざ苦労作業など初めからしないだろう。これが天業翼賛への道であり「忘我育成」の「農魂」だと農本主義者の松田喜一氏は言います。

農魂は人間対手ではなく、天地を対手の魂である。そして天地の積み置かれたる無尽蔵の宝を戴いて、国家社会の為につくす魂である。士魂の先生には人間がなれるが、農魂の先生は人間では及ばない。稲が先生、麦が先生、甘藷が先生、牛が豚が、鶏が先生である。天地という先生につかねば、極意はつかめないのが農魂である。(松田喜一著書 農魂と農法ー農魂の巻 日本農友会出版部)

農魂を養うということではない場合にあっても、非科学的な窮地に至らないと見えてこないことは実際にある。漠然としての経験と、困難な経験では見える景色も違いますし、休憩時に飲む茶のうまさもぜんぜん違う。また、松田はこんなことも言っています。

天地の恩恵で稲や麦が育つという考え方は宗教である。科学的に言えば、太陽も、空気も、土壌も、水も物質でしかない。しかしいかなる科学も、未だ人間はもとより、虫一匹も造ることはできない。すなわち「生命」ということに及べば科学では、虫けら一匹がどうにもならぬのである。ここに人間の及ばぬある霊体がある。実際神様とて言わなければ始末がつかない無形のものがある。(松田喜一著書 農魂と農法ー農魂の巻 日本農友会出版部)

日本の「農学」「神学」などは、こうした表現をただただ「非科学的」だと言って切り捨てられてきた歴史がありますが、これはいかがなものかなと思う。もしくは「宗教っぽい」などと言って、相手にされないこともある。しかし、これは近代の資本に翻弄されつつも、非常に大事なものとしてもっと発展的に見る必要性があることの裏返しと受け止めている。衰退していく農学にこそ、人が豊かになるための秘訣があるとそう考えます。

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人の喜ぶ顔が見たい。そう言い出した学生は、いみじくも「手塩にかけた野菜」が、ただ腐ちていくことに憚られたのではないでしょうか。
現在も夏野菜の販売は続いています。

https://kaei-farm.stores.jp/

また、引き続き子ども食堂やひとり親支援施設などには無料でお野菜を提供しています。野菜が高騰しているので、もし、施設に関わっている人でお困りの方がいましたら、メッセージを下さい。

花瑛農園ではコロナによる困窮学生への学業・生活支援と農業体験を兼ねてアルバイトを引き続き募集しています。
※コロナ対策に原則として、マスク着用でご参加下さい。アルコール消毒液などは用意があります。


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