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「記憶」のなかの戦後史-向井承子著
先月初旬に能登半島地震に関する寄稿を掲載してくださっている'We'の編集部から1冊の本が届いた。
'「記憶」のなかの戦後史 向井承子著(株式会社フェミックス発行)'
https://femixwe.cart.fc2.com/ca9/159/p-r-s/?preview=b4469dd83ac7f87f719f59dac068f02f&_gl=1*t1dsvc*_gcl_au*MjEwMTE4NjU4NC4xNzIxMTAzODQy
のめり込むように一気読みをした。その為、昨日は梅干しおにぎりしか食べていない。おにぎりを急ピッチで作り上げ、頬張りながら著者である向井さんの生きた証を辿っていたら、祖母が生前に、おにぎりを片手に読書をしていたわたしの姿をみて、'読書しすぎると嫁に行けない'と言っていたことを思い出した。祖母は向井さんの18歳年上で、戦前戦中戦後と同じ時代を生き延びていた。祖母は乳飲み子を抱え、向井さんは幼少期に終戦という戦後の始まりを迎えていた。祖母はことあるごとにわたしに'出来すぎる女性は嫁に行けない'などと言って、何でも出来る女性像をわたしに求めず、料理を特に教えたがった。嫁に行くことが女性の幸せとでも言いたかったのだろう。一方で、故市川房枝さんをはじめ民権運動や女性の選挙権を獲得するために奔走したひとびとと共に過ごした向井さんは、社会に出たことで感じてきた女性という立場をまさにパイオニアの域で熟考していた。'凛 近代日本の女魁・高場乱'を残した故永畑道子さんと向井さんとの間に親睦があることには驚き、嬉しくもなった。(羨ましい!
祖母は亡くなる前に'わたしは何のために生まれてきたのか'と女性であることで味わった苦労語りを呟いていた。嫁に行くことが女性(人間)の幸せとは限らないということが祖母の総括だったのだろうと理解している。それはもしかしたら、未亡人としての時間の方が長かったせいもあったのだろうとは思う。カタカナしか読み書きが出来ない祖母の最後に振り絞るような声で語られた人生の総括が聞けたことは、わたしの人生に大きな事件として忘れることの出来ない出来事となった。そんなことを思い出したながら通読することが出来た。
わたしはもちろん戦中と戦後すぐの状況をこの目で見たわけではない。だからこそ多くの人の話を聞くことでしか、その渦中に抱いた恐怖も悲痛も次世代に伝え残すことは出来ない。その意味では、今回の通読は、伝え残すために教えてもらったという言葉を使う方がしっくりくる。
向井さんの史実を通して、時代背景も掴むことが出来る。それは歴史の授業で触れるだけの端的なものなどではなく、そこには人の営みが確かにあったこと、あるいはその時同時に政治、経済、社会の反応はどうであったのかを示している。男性や学者(これもほぼ男性)ばかりに語らせてきた戦後の話に飽き飽きしている世代としては、いわゆる銃後と呼ばれてきた人々の戦後史は非常にリアルなものとして伝わってくる。個々の戦後史はもっと残されるべきだと痛感。それこそ、故永畑道子さんの続けてきた女性史の編成が、女性史という歴史の連続性の一端を担っているように。
ぜひ、手にとることをおすすめします。
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