アリとキリギリス
プラダー・ウィリー症候群の概要について、わざわざ私が書かなくてもよろしいように思う。
とりあえず病名をぐぐってほしい。
これまで一度たりともハイブランドに関する情報をサーチされたことのないまっさらな検索窓にすら、表示されないであろうワードである。
そのピュアな検索窓にプラダと入力すれば、google先生はハイハイ、あれでしょ?あのイタリアの?と予測を披露してくる。
しかし、プラダの続きに靴でもバッグでもストアの場所でもなく買取の案内でも偽物の見分け方でもなく、病に関する検索ワードがあることをお伝えしたい。
だいたいのPWS児・者の親は、診断をもらって初めてサジェストに乗らず、手で入力する。
その追体験をしてみてほしい。
様々な情報が転がっているが、一応、公式として扱われているのは患者会のHPと医師の論文だ。
それからぷく氏の様子を見るに、どうもPWS患者の統計的データの平均よりも発達がゆるやかなんだな、ということがわかる。なるほど“症候群”というだけある。
そこには適度な孤独感がある。同じ年頃のPWS患者とは課題が異なるのだ。その親同士で話をするのは楽しく勇気づけられ安心感のあるひと時だが、どんな話題であってもまだ先の話を聞いている状態である。同級生の思い出話が今日の話だったりする。
例:COVID-19大流行
諸々の予定が立たない、行けるはずの遊び場に行けない、というこれまでの日常が失われることについて。
平均的な発達を見せている4歳PWS児の親の多くは、予定が立たないことで苛立ったり調子を崩したりする我が子のストレスケアを行なっている=生活の随所に一層の工夫を凝らしている。
一方、ぷく氏はそもそも自身の日常が失われたことに気付いていない。今日も平和に自宅でルンバを追い、いれこのカップをひたすら出し入れしている。あれ?保育園デート(担任の先生やかまってくれるお友達との)は?療育デート(担当の先生やばったり会うお友達との)は?いいの?唯一あつこお姉さんだけは失われていないから満足なの?そういえばあつこお姉さんへの執着の度合いが増した感はある。
まだ追われるほどの課題が出されていないだけで、いずれはこなすことになる予感はある。が、本当にそうなるかはわからない。症候群だから。
結果、養育者たる夫ころ助と妻いつ子はMAICCA〜の境地に辿り着き、その時が来たらその時に対応すれば良い、と大いに開き直った。
私たちに割り振られた役はキリギリスだったのだ。これはもう遊んで暮らしてて良いんじゃない?
その一方、日々せっせと病院や療育へ通い、PWSの情報を得ながら未来に備えている姿は世間一般的に見れば立派なアリなんでないの?とも思う。
我々はキリギリスのように暮らすアリなのか、アリのように見えるキリギリスなのか。アリとキリギリス改めアリでキリギリスなのか。
それで完全に余談ですけど。
地球の反対側、ブラジル版アリとキリギリスの結末がどう描かれているかご存知でしょうか。
もし読んだことなければこれもぐぐってみてほしい。