乃木のノート − 乃木 いつ子

主にプラダー・ウィリー症候群 Prader-Willi Syndrome , PWS のあるわが子・ぷく氏の話。5人家族(父ころ助38・母いつ子38・長女つる8・長男ぷく6・次女まる4)。

乃木のノート − 乃木 いつ子

主にプラダー・ウィリー症候群 Prader-Willi Syndrome , PWS のあるわが子・ぷく氏の話。5人家族(父ころ助38・母いつ子38・長女つる8・長男ぷく6・次女まる4)。

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乃木のノート 活用法

このページを読んでから、他のページを読んでほしい。 私はこれから、わが子・ぷく氏のことを書く。 ぷく氏のプラダー・ウィリー症候群(Prada-Willi Syndrome , 以下PWS)という病について、PWSにともなう身体的な・知的な障害について、触れる。 私のnoteを読んだあなたも、これから、PWSのあるひとや、その周りのひとと関わりを持つかもしれない。 その時は、ぜひ私たちのことを忘れて。 目の前のそのひとの話をよく聞いてみてほしいと思う。 今、現にPWSの

    • 妊娠出産の話 - 2015⑩ 12月23日(祝)

      2015年の12月23日は天皇誕生日で祝日だった。 しかし、エヌは24時間365日、日祝関係なく稼働している。 面会時間内なら何時でも入室できるし、医師・看護師らは普段どおり乳児の診察とケアに当たる。 午前11時に主治医チーム・担当看護師・両親、関係者だよ全員集合のカンファレンスが予定されていた。 ちょうど、私いつ子の実母から、23日はお休みを利用してつるにクリスマスプレゼントを手渡したい&ぷくに会いにいきたい、と連絡をもらっていた。そこで、私は実母を招き、カンファレンスの

      • 妊娠出産の話 - 2015⑨ きてますきてます

        エヌに通い始めてすぐに気になったことがある。 エヌにいる乳児はみんな小さい。ぷく氏も例外でなく、私の手のひらからひじまでの腕がぴったりサイズのベッドになるほど小さい。 大きさはそう変わらない。 ところが、他のベッドの赤ちゃんは小さい声ながらもホゲホゲと泣き、身体をぎゅっと縮めたり伸ばしたりしている。 ぷく氏は泣かず、だらりと伸びっぱなしで、ひたすら寝ていた。その活気のなさは異常に見えた。 当時は毎朝、目覚めとともに布団の中で打ちのめされていた。 私は確かに赤ちゃんを産んでお

        • 妊娠出産の話 - 2015⑧ エヌ

          近しい者は「エヌ」と呼ぶ。 NICU=Neonatal Intensive Care Unit=新生児集中治療管理室である。 エヌ・アイ・シー・ユーと読む。ニクでは通じない。 親が入院中のお子に面会のため日参することを「エヌ通い」という。 出産から9日後の午前。 私は産院を退院して自宅へ向かった。自宅で荷物をまとめてコロ助実家のお世話になりに行く。当時はまだ義実家に同居しておらず、隣町内に近居していた。 予定は1ヶ月。コロ助氏がこの数日後から2週間ほど海外出張で不在になるこ

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          妊娠出産の話 - 2015⑦ 君の名は

          救急車が転院先の△□大附属病院につくとすぐに坊ちゃんは小児科病棟内のNICUへ運ばれていった。 NICU内で処置が行われる間、私は談話室で問診票や書類に記入をしつつ待機だという。 指定された談話室にはいくつかのテーブル、電子レンジ、冷蔵庫、子どもの遊べるスペース、テレビ、DVD、おもちゃ、などの子どもの好きなものが様々置かれており、壁には子どもの描いた絵や工作物がたくさん貼られていた。この小児科・NICUに入院する子どもの入院期間の長さや切実さが感じられた。うちの子も今日

          妊娠出産の話 - 2015⑦ 君の名は

          妊娠出産の話 - 2015⑥ 鼻から乳乳

          36週6日 で 1,941g 立派な早産低出生体重児である。坊ちゃんはたった1日を待てなかったことになる。 保育器に収容された坊ちゃんは、ずいぶんと時間をかけてどうにかこうにか母乳(搾乳)とミルクを口から飲んでいた。 が、3日目にして早々に規定量をクリアできなくなりギブアップ。 鼻にマーゲンチューブを挿入された。経管栄養の開始である。 私は挿管の瞬間を目撃していない。このころ、起き上がると激しい頭痛が起こるため、常時ベッドで横になっていた。 https://www

          妊娠出産の話 - 2015⑥ 鼻から乳乳

          妊娠出産の話 - 2015⑤ そこに嘘があるとすれば

          綾野剛と源ちゃんがいないこと。 うちの産科にはイケテルメンズ不在、泣ける。 TVドラマ『コウノトリ』のリアリティについてである。 絵理子先生はシャカシャカと手を動かしながら、そう答えた。 ただいま、予定帝王切開の手術中である。 用いられた麻酔は局所麻酔(脊髄くも膜下・硬膜外併用麻酔)につき、下半身はおねんね中だが、意識は鮮明である。 妊婦にその気があれば、雑談とともに手術が始まり、雑談とともにお産が進む。事前に2先輩に聞いていた通りであった。 出産の際にかける音楽をリ

          妊娠出産の話 - 2015⑤ そこに嘘があるとすれば

          妊娠出産の話 - 2015④ 寝るのが仕事

          起床 朝食 バイタルチェック NST 1時間 昼食 診察 NST 1時間 夕食 バイタルチェック 就寝 切迫部屋の日々はこの繰り返しである。 暇であった。 暇すぎて、合間に今も使っているこのPCをセットアップして、年賀状のひな形を作ったりした。 MacBookPro Mid2012、メモリ増設&SSD換装を経て2021年12月1日現在まさかの現役である。 医師にも助産師にも看護師にも、可能な限り省エネ生活を心がけるよう指導された。 仕方がないので、

          妊娠出産の話 - 2015④ 寝るのが仕事

          妊娠出産の話 - 2015③ 切迫部屋の人々

          ★おさらい 切迫部屋見取り図 4さんこと、アイちゃんの思い出話である。 アイちゃんは私が入院してから数日のちに入院してきたお向かいさんである。 アイちゃんは爆切れ状態で付き添いの母に激しく当たり散らし、あーだこーだわめいてはなだめられながら入室してきた。 先住の我々は語らずして、彼女の入院理由から、里帰り出産の事情から、夫と夫実家の家族構成から、なんだか色々を聞き知った。 アイちゃんは検診にきたところ、切迫早産・糖尿・高血圧の診断を受けて即日入院となったハイリスク妊

          妊娠出産の話 - 2015③ 切迫部屋の人々

          妊娠出産の話 - 2015② 切迫部屋へようこそ

          実は、入院する準備は整っていた。 自分の入院生活に必要なもの一式と、生まれてくる赤ちゃんが退院する時に着るもの一式。私はそれらをガラガラ引くキャリーケースにまとめて、組み立てたベビーベッドの近くにスタンバイさせていた。 そもそも、妊婦には臨月になったらいつでも入院できるように荷物をまとめとけ、という指導がある。助産師外来では挨拶がわりに準備できてます〜?と声を掛けられていた。 私の場合は胎児が骨盤位から動かず、11月24日(母子手帳にそう書いてある)に帝王切開で出産する

          妊娠出産の話 - 2015② 切迫部屋へようこそ

          妊娠出産の話 - 2015① 32週目で入院

          2015年11月に入ってすぐの金曜日。 その日、私は妊婦検診ののち、友人とザギンでニークー(まんまw)のランチをいただく予定があり、産院の待合室でうきうき浮かれていた。 午前の早い時間に検診の予約を入れ、その上、診察時間の30分前には血圧・体重を記した紙と検尿カップを提出し終えている。いつも診察時間に間に合わせられない私には快挙。 この時点で週数32w、この日はノンストレステスト(以下、NST)、腹部エコー検査(以下、エコー)を受けてから診察を受けることになっていた。

          妊娠出産の話 - 2015① 32週目で入院

          妊娠出産の話

          秋です。11月はぷく氏の生まれた月。 私にとっては毎年、この一年積み上げてきたものをかみしめながら、当時の傷口をたしかめる月。そう簡単には忘れてやんねーぞ…ククク(根暗)… ぷく氏が生まれた前後のことはもいずれはしっかり残そうと思いつつ、まずは乃木家の子ども3人の、三人三様のお産を振り返りたい。 そもそも、この子ら全員違う顔してて、ステップファミリーだと思われてたこともあるくらいなんですけどね。お産からして三様でしたよ。人生いろいろ、 文章だと長いので表で。や、表にし

          とんとん ぺ

          話をする、連絡をする、文章を書く、ものごとを考える、その他あらゆる場面で言葉をつかう。 前回のポストで「差」としたところは「ちがい」の方が、今の現実のうけとめ方とその心情に沿った言葉だったと思う。 そして私は「この単語は、この言い回しは、この言葉遣いは、本当に自分の心情を表すのに適当だろうか」とよく吟味していなかったんだな、と感じた。 かつて私のことを「とんとん、ぺ」と表した人がいた。 いつ子ハタチ、若かった。 「とんとん」は手のひらで胸のあたりを叩く仕草で、何かを

          また四月がきたよ

          3年前の四月、ぷく氏をはじめて保育園に連れていった。 2歳児クラス担任の保育士はきれいでやさしくあたたかなお姉さん先生4人で、教室に入った瞬間からぷく氏のテンションは爆上がりだった。 突然放りこまれた「リアルポポちゃん」にクラスメイトは興味津々、かわるがわる寄ってきてはよしよししていく。 保育園はとにかく人とかかわることが大好きなぷく氏にとってパラダイスのようであった。 以降、ぷく氏が朝、登園そのものを渋ったことは年長クラスになった今に至るまで一度もない。 ただし最近は

          みんなのミ ミルミルのミ みかんのミ meのミー

          実際の年齢差は2歳だが、それ以上に見える。 つるとぷくである。 つるは明らかに「ふつう」でないぷくの様子を「プラちゃんだからね!」で適当に片付ける。 なぜかといえば、親が適当にそう教えちゃったからだ。 つる4歳の時であった。 「なんで?」攻撃をかわすため、苦し紛れに適当な表を用いて説明した。 「だからぷくは赤ちゃんに見えるんだよ」 「そっか!」 4歳児チョロい。これは妙案であった。しめしめ。 そして現在、2020年。チョロかったつる、もうすぐ7歳。 そろそろ情報をアッ

          みんなのミ ミルミルのミ みかんのミ meのミー

          アインシュタインじゃない方

          社畜・家畜ときて、鬼畜もいる。次女のまるである。 「まる」という愛称は当初、四股名風に「**(本名)丸」と呼んでいたものが、いつの間にやら語尾の「丸」だけ残ってしまったものだ。 まるは凶暴だった。 シルバニアファミリーを見つけたら即ジュラシックパークした。赤ちゃんらしくペロつく前にT-REXである。 ぷくとまるにはふたりともハイハイで、ほぼ双子のような時期があった。 ふたりはいつだって加害者と被害者で、 女王様とM男だった。 現在、ぷくはまるを妹と信じ、まるはぷくを

          アインシュタインじゃない方