乃木一家 構成員
「一家」と「構成員」はそれぞれ文字通りの単語だが、まとめて検索するとこうなる。
あ、今日ハートだ(2020年4月9日)。
普通にわが家の話です。改めましてどうもです。
うん、図に限りますな。いっぱいいるから。
四世代とは、今どき珍しいような、ふところ寂しいこのご時世こうなるよね、のような。
で、こういう家に病気・障害の子が生まれて、やれ義父母が狂っただの、追い出されそうになっただの、今のところそういう話にはならずに済んでいる。民間療法や信心深いなんたらを勧められたことも無い。ありがたい。
この家のゴッドマザー・おおばあちゃんは90歳を超えて心身ともに自立しており、おおらかで温かい女性である。
おおばあちゃんは元助産師で、亡おおじいちゃんの母である亡おおおおばあちゃんも助産師だった。つまり乃木ファミリーを継ぐため、先代ゴッドマザーの一本釣りで嫁いできたのである。
おおばあちゃんは思うところがあったとしても、他人の生き方やふるまいに口を出す人ではない。しかし私は過去に一度だけ母親としてのふるまいを叱り飛ばされている。
ぷく氏が生まれてすぐNICUに入っているとき、おおばあちゃんのところで「あの子にはなんか(病気が)あるかもしれない…」と泣いた時だ。その時点ではまだ確定診断をもらっていなかった。
「あんたが泣いてどうする!」
おそろしい一喝だった。まじでちびるかと思った。帝王切開だったからか産後の頻尿の程度は軽かったが、自然分娩だったら確実に漏らしてた。
となりに当時2歳のつるがいたので、子どもの前でメソメソして不安にさせるんじゃないよ、ということだった。しかしそのツルも私とともに震え上がっていた。
おおばあちゃんの喝には有無を言わせない圧があり、もはや引き続き泣く選択肢はなかった。だって・でもを返すことはできそうにない。他で泣けばいいかとズルする気にもなれない。凄みとはこういうことなんだろう。
後日誰かに本件を話して「ひどいね」と代打批判してもらうとか、別件で彼女を貶めてとか、できたと思う。でもそういう手段を取ることで自分がすたる気がした。ゴッドマザーに意地を見せたかったんだろう。好きだから。
とは言え、その後もNICUで動かないぷくを前にすれば、涙は出た。管だらけのもの言わぬ赤ちゃんにも別の凄みがある。しばらくはヤバイ産婦として丁重に扱われ続けた。NICUで立ち直るの巻はまたいずれ。