案外関わりがある職業について

 私は、某高校で教員をしております。教員歴で言うと4年目。今年26歳になります。今年度に入り、各分掌での「最年少」という冠が取れて嬉しい反面、焦りもあります。
 これまでの3年間の教員生活で、私は事あるごとに「最年少」という冠を良いように使い、「生徒と年齢が近い」という利点のみで物事を乗り越えてきました。聞こえは悪いかもしれませんし、自分で認めたくもありませんが、事実です。この3年間、私が胸を張って「やってきた」と認めてあげることがあるとすれば、「生徒ととにかくコミュニケーションを取る。」ということだけでした。もちろんこれが悪いことだとは思っていません。コミュニケーションを取ることで、信頼関係が築けますし、いろんなプラスの面があります。しかしながら、それ以上はないわけです。信頼関係をいかに築いたとて、仕事ができない、特に授業力がなければ、その人は必要とされません。ここまでの3年間、自己研鑽にあまり時間をかけてこなかった人間が、「若さ」を失いかけたとき、残るものは何もありませんでした。
 こんなところで言うのもなんですが、今年度の目標は「授業力の向上」にあります。26の誕生日を迎えると、いよいよ30も目前です。もう若くありません。若くなくなってきた時に、使える武器を今年1年かけて磨いていこうと考えています。
 ということを考えたときに、ふと思ったんです。「教員」と「水商売」って似てるな。と。というか、究極の職業とは「水商売」なのではないか。と。どの職業でも、若いころはそれだけでチヤホヤされて、何とかやっていけるものです、しかしながら年を重ねてくると、次の若い子へ目移りします。そこで引き留めるだけの何かがないと、やはり生き残ることはできません。その構図があまりにも明確な職業、それが水商売の方々だと思うのです。
 私も大学時代、居酒屋でアルバイトをしていた際に、よく水商売の店に出前を持っていき、そこで様々なことを教えられました。そして驚くことに、それは今この職業についていても活きているわけです。恐るべし。

 教員というのは話すことを生業とします。毎日色んな先生、業者、生徒とコミュニケーションを取っていきます。特に年頃の生徒は敏感です。こちらが何気なく放った言葉でひどく傷を負ってしまうこともあります。だからこそ、紡ぐ言葉には十分な注意が必要です。もちろんそれは、昔自分たちが学生だった時代とは比べ物にならないほどに。同世代の人なら分かると思いますが、学生時代様々な暴言や暴力を受けてきました。もちろん容認されていたわけではないですが、なんとなく「まぁまぁ・・・」という雰囲気があったのも事実です。果たして、それらの行為に愛があったのか。自分はそうは思いません。暴言や暴力というのは「弱い自分を正当化」するための道具でしかありませんし、いついかなる時も許されるべきものでもありません。暴言や暴力を伴う指導を受けたが、日本一になった。日本一になったから、それまでやられたことが全て水に流れるか、と言われると、全員が全員そうなるわけではありません。傷を負った子は必ずいます。そちらを向ける必要がある。それが良い組織というものです。どうか学生時代、バイト代を全てつぎ込み、自分の青春を作ってくれた組織が良い組織でありますように。心から願っております。


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