認めるって難しい
企業の勤め人である私は、会社の中では部や課に所属しています。
私に限らず、呼び方は違えど、フリーランスや少数精鋭のベンチャー企業とかでない限り、人は何らかの組織に所属しながら仕事をしていることと思います。
今回は、そういう、組織や団体、国家について、考えることがあって、このnoteを書くことにしました。
仕事とは全然違って、国家について、こんなお話を読みまして。よろしければまずはお読みください。
組織で仕事をしていると、ある程度の秩序の中で、物事を進めることが必要になってきます。秩序、ルール、決まり事、単独ではなく複数で仕事をする上では多少は必要なのだと思いますし、もしそんなものはなく働けている人がいるのであればそれは羨ましいとも思ってしまいます(決めごとしなくても潤滑に進むなんて、個々人のスキル、思いやり力が高いからなんだろうな、と想像しました)。
実際の体験で言えば、このコロナの影響を受けて自分の会社でも在宅勤務を導入することになったのですが、実際にやったらやったで部や課の間での軋轢というかいがみ合いというか、面倒ごとが増えた気がするのです。在宅勤務を実際にどのように導入するかは部、課の判断で、となったのですが、例えば、業務都合で、ある課は週に2日在宅勤務、隣の課は週5日出勤する、といった状況が生まれました。
そうして課によって差が生まれたときに「あっちの課だけずるい」「どうしてうちの課は在宅を認めてくれないんだ」といった声が上がるように。業務内容に違いがあるから、という理由は考慮されず、単純に在宅勤務日数のみを比較した不平不満が出てきたのです。
こうした状況を見ていた中で、今回のfootballistaの記事を読んで、ジャンルは違えども起きている事象は似ているな、なんて思ってしまったのです。
コソボを国家として認めてしまえば、理屈上カタルーニャの独立も認めなければならないからだ。
思わぬ飛び火はあらゆるところで起きますが、対岸の火事かと思っていると実は身内にも影響が、ということもよくあります。コソボ問題も似ているようです。
旧ユーゴスラビアの解体はどんどん進んでいきますが、それにしてもコソボの特殊性は際立っていますね。諸外国がそれを認めていることも含めて、改めて世界や国家の話しは難しいな、と思ってしまいます。
ただ、スケールの大小は違えど、何かを認める、認めない、という問題は厄介です。当事者間で決着できれば良いですが、こじれるともう大変。いやになってしまいます。それが仕事だ、と、言われてしまえばそれまでですが、せめて自分の周りくらいは穏やかに仕事がしたいな、と思っています。これは理想論でしょうか。
最後に、コソボ問題について論じた2008年の記事と文末の言葉を添えて、今回の記事は終えたいと思います。
コソボの独立をめぐる西バルカン地域の動向は、当面EUとロシアが外交的影響力を行使しあう静かな角逐の場となるであろう。
こちらも、現地の方々が、穏やかな日々を送れるようになることを、ささやかながら願っております。
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