ゲーム音楽作りにかける僕の情熱
【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】
このところテレビゲームの音楽の仕事に掛かりっきりだ。ゲームミュージックとの付き合いはかれこれ六年くらいになる。
インベーダーゲームやブロック崩しに始まったテレビゲームは、ここ十数年の間にだれも想像し得なかったほどの飛躍的な進化を遂げた。ゲームのBGMとして聞こえていたかつてのピコピコという耳障りな音楽も、最近はROMの容量が格段に増えたせいで音もきれいで豊かになっている。作る方としてはそれだけ気を使う事が多くなるから、年々仕事は大変になって来ていて、今も頭を悩ましっぱなしである。
というわけで、今回はどうして僕がゲームミュージックを手がけるようになったかという話だ。
今でこそゲームミュージックはもてはやされているが、僕が最初に引き受けたころは、イメージとしては地味な部類の仕事だった。
もちろん、作曲自体地味な仕事であるが、ゲームにおいては音楽はメーンではないという意味もある。どうしても裏方っぽい仕事に思えたものだ。概してそういう仕事ほど苦労が多いというのも知っていた。
友人からゲームの音楽をやらないかと言われた時も少し躊躇した。”歌もの”以外の曲を作ったことがなかったからだ。
大丈夫。みんな初めてなんだから。と変な説得をうけた。そう、シナリオを手掛けるその友人も、キャラクターを描くイラストレーターも皆ゲーム作りは初めての体験だったのである。全員素人の集団がゲームを作ろうとしていたのだ。
僕にいたってはファミコンというもの自体、触ったことすらなかった。それでいいんだろうかという戸惑いはあったが、僕は臆病なくせに新しい物好きという矛盾した性格の持ち主でもある。やってみようかな、という気になってきていた。
しかも、彼らが一緒に仕事しようとしていたメーカーが北海道の会社だった。友人が言ったのだ。「タダで”北海道”に行けて、しかも”カニが食べ放題”だよ」そのひとことが決め手となった。コンサートツアーでいろんな土地には行っているが、北海道の食べ物のうまさは格別である。カニ、ほっけ、イクラ、きんき、アスパラ、とうもろこし、何を食ってもうまい。本気で住もうかとさえ考えたこともある。何にも増して説得力のある言葉を友人は知っていたのだ。
かくして食べ物に釣られた素人集団によって初めて作り上げられたゲームが「桃太郎伝説」である。新鮮な気持ちで作ったのがよかったのか、ただのまぐれか、発表後見る見る八十万本を売り上げた。
僕らは打ち合わせと称しては年に何度か札幌に行き、思い切りカニを食べて帰ってくる。そのうち「桃太郎」は大ヒットシリーズとなっていた。今も来年の1月に出す新作を作っている。かれこれ二百曲以上は作曲しただろう。もう出てこないよ、と常に弱音を吐きつつも仕事は続いている。
案の定苦労は多かったけれど、食べ物に釣られた事を僕は後悔していない。先日はアワビのフルコースを食べた。秋はイクラ丼がおいしい。その前にメロンもあるな…。
関口コメント:
さくまあきらさんに「桃太郎伝説」の音楽を頼まれた時、一緒にファミコンのハードと「ドラゴンクエスト」のソフトを渡された。「こんな感じだから、よろしく!」と言われたもののどうやって作ったらいいものか途方にくれた記憶がある。
当時のファミコンは使える音も制限されていたので、とにかくキャラクターや場面をメロディーで表現しようと心がけた。音楽の素養がなかったボクにとってはそれがとても良い勉強になった。意外に子供の頃から培っていた想像力(夢想力?)が役にもたった。もしかしたら性に合った仕事だったのかもしれない。ずっとボクを起用してくれたさくまさんには感謝してもしきれない。
32年続いている「桃太郎電鉄」は、おかげさまで2020年の最新作も大ヒット中である。
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