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マデイラワインとウクレレ

そのワインと出会ったのは札幌市内にあるこじんまりしたレストランでした。深いグリーン色のボトルに黒いラベル。大きな白い文字だけが目立つシンプルなデザインでしたが、よく見るとそのラベルに印刷された白い文字は数字、しかも1、8、7、5。なんと1875年!実に140年前に作られたワインだったのです。

「それはマデイラのワインなんですよ」と女性店主が言いました。

マデイラ島はサッカーのスーパースター、ポルトガル代表選手クリスティアーノ・ロナウドが生まれた島として知られてもいますが、「大西洋の真珠」とも称される、それは美しい島なのだそうです。

そこで作られるマデイラワインは「酒精強化ワイン」と呼ばれる、普通のワインとは異なるものなのだそうです。熟成の途中でブランデーを添加してアルコール度数を高め、酵母の働きを止めることによって酸化を防ぐという製造方法で、スペインのシェリー酒と同じジャンルに入るそうです。

ブランデーを加えるタイミングで辛口から甘口のコントロールが可能だそうで、食前酒・デザートワインだけでなく料理酒としても盛んに用いられているそうです。マデイラワインの輸出先として日本は世界第5位になるそうですが、そのほとんどが調理用で、もったいないことに飲用としては、まだあまり知られていないようです。肝心のテイストはどうなのかというと、甘さに加えて、酸味もあり、熟成感、香りの芳醇さはブランデー以上でした。

マデイラ島に魅せられ何度も通っているという女性店主のウンチクに耳を傾けながらも、僕の思いはすっかり140年前のマデイラ島に飛んでいました。

どうしてかというと、ウクレレという楽器の由来に大きく関わっている人物、マニュエル・ヌネスのことが真っ先に浮かんできたからです。

マニュエル・ヌネスは1878年マデイラ島を出港した移民船でハワイに向かいました。長い航海の末、ハワイに到着したのは1879年8月23日。ヌネスと同じ船に乗船していたのが同じ木工職人の二人、オーガスト・ディアスとホセ・サント。三人はそれぞれポルガルの小さな弦楽器を元に楽器製作を始めます。それがウクレレと呼ばれいつしかハワイを代表する楽器となるわけです。

ヌネスらがマデイラ島を出港する3年前に仕込まれたワイン。ヌネスらが移民を決意した当時のマデイラ島はどんなだったのだろう。移民船には長い航海に備えてマデイラ島のワインも積まれていたのだろうか、などいろんな想像が頭をめぐり出しました。

もう一つ面白いこともわかりました。マデイラワインに加えていた蒸留酒はもともとブランデーではなく、ラム酒だったということです。それはつまり昔からマデイラ島でサトウキビが栽培されていたという証拠でもあります。ここからはさらに僕の想像になりますが、世界を旅したハワイの王様デビッド・カラカウア王がマデイラ島からの移民を受け入れたのは、ハワイと生活環境が近かいからという理由だけではなく、サトウキビ産業に貢献できる人材を求めたのではないのだろうか、ということです。

カラカウア王はハワイの独立を維持しようと奮闘したことや、ハワイ古来の文化を復活させた功績で今でもハワイの人たちに敬愛される人物でありますが、ウクレレを推奨したことでも知られています。そのおかげで、ウクレレはあっという間にハワイでポピュラーになったわけですが、それどころか、彼がいなかったら、マデイラからの移民が来なかったら、ウクレレという楽器は存在しなかったのかもしれません。

一杯のワイン(実際は高価だったのでほんの一口だけでしたが)から、マデイラ島→マニュエル・ヌネス→カラカウア王と、想像は広がりました。気持ちよく酔っ払ったその札幌の夜の結論は、やはりマデイラ島行ってみたい!でした。


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