【オランダ旅】未来の私が振り返った時に、きっと笑ってくれる旅だった。
2022年がもうすぐ終わる頃。
ずっと一緒に育ってきた犬が亡くなった。もうすぐで18歳だった。
2023年。
失恋もした。
仕事も友人関係にも恵まれ愛しい日々を送る中で、失うことが続いた時期でもあった。なんとなく想像していた未来がひとつ無くなってしまったようだった。
そんな中でも周りに恵まれ、なんとか日々を続けている中で感じる、自分の立つ地盤のゆるさ。
15歳で一人でイギリスで演劇留学をすると決めて渡英し、4年半を過ごしきったあの頃より、今の私はずっとゆるい。
日本で、日本語の通じる場所で、好きな人たちに囲まれている。
それはとても幸せなことで、できるならこれからも失いたくない。
ゆるいという言葉は適していない気もするけど、ゆるりと気を抜いて「甘くて美味しいな」と寝転がりながら過ごしていられるこの毎日に、少しだけ勇気を振り絞る、というスパイスを加えたくなった。恥ずかしいとか言ってられず、人に頼るしかない場面を作るべきだと思った。
あの頃の未来へ向かってがむしゃらな自分も愛おしかったから。
今の自分もがむしゃらなつもりだけれど、誰も知り合いのいない場所で、ひとりぼっちで街に佇みたいと思った。
2023年の12月。
ひとりでオランダのアムステルダムへと向かった。自分にとって、新しい一歩の旅だった。
そんな想いと共に着いたアムステルダム・スキポール空港。
この旅は、飛行機が遅延してトランジット先のドバイに荷物を置いていかれることから始まった。
初めてのロストバゲージ。
さっそく旅の洗礼を浴びた。
とりあえずホテルに着いてから一旦泣いた。
明日荷物は届けると言われたけれど、自分が住んでいたイギリスだったら次の日には来ない。オランダはそこら辺の感覚がどうなのかわからない。旅の最中に届かない可能性もある。
誰も助けには来ないし、自分がなんとかするしかない。
あぁ、自分が求めていた心細さって、こういうことだなぁ。
そんなことを思いながら、その日はホテルの周りをぐるりと散歩して、スーパーに寄り夜ご飯を買った。あまりお腹が減らなかったから、イギリスにいた頃によく食べていたクルミがついたパンを買った。
3日目くらいになると、自分のホテルへの道も覚えてきて、振る舞い方もなんとなくわかってくる。
5日目には、元所属していた劇団の先輩がドイツから遊びに来てくれて、アムステルダム中央駅で合流して街を歩いた。
少しずつ少しずつ、自分へ自信がついてくるのがわかる。
今私は知らない国にいて、少しだけ道を覚えた。
トラムで聞こえてくるオランダ語はわからないけれど、必死に表示案内を見ていたら、あの単語が"次の(駅は)"って意味なんじゃないかって推測できてくる。
撮影としても向かっていたため、現地にいる人たちにインタビューをして、友人となった。その中の一人とは、一緒にピザを食べた。次の日も違う街で待ち合わせをして、一緒に歩いた。
雨に打たれて充電器が使えなくなり、ホームで話しかけた女の子は、同じ電車に乗るからと目的地までの45分間ずっと充電器を貸してくれて、おしゃべりをして一緒に写真を撮って友人となった。
ミントティーは、どっさりとミントが入っていて、大きなグラスで運ばれてくる。これがとても美味しい。
ゴッホミュージアムでは、荷物を預ける時にロッカー番号を指定されるけど、それが一番上だと背が高すぎて届かない。オランダ人の平均身長が世界一なことを、ここで痛感する。スタッフを呼んで助けてもらった。
アムステルダム国立美術館は、ものすごく美しい。アーチ状の向こう側に大きな絵が見えてくる。あの有名な『夜警』は大きく飾られ、今は修復中であっても鑑賞できる。離れると絵画の上部にレンブラントの名前が見えてくる。
『牛乳を注ぐ女』も飾られていたけれど、説明やタイトルなんてどこにも置かれていなくて、見逃しそうだった。名画を自分で見つけていく感覚で楽しかった。
カフェでオランダ語で店員さんに話しかけられて「彼女はEnglish speakerだよ」と違う店員さんが英語で伝えてくれていた。「そうなんだね、注文はどうします?」と英語に言語を変え、ニコニコと接客してくれる。
オランダ人は、非英語圏の中でもトップクラスの90%以上の人が英語を話すということを、行ってから知った。
少しずつ、知っていく。
知っていくことで、自信が小さな芽のように出てくる。
私は今、将来思い出した時に絶対に素敵な経験をしていると言える、という確証がある旅だった。
こうやって、自分で決めて旅へ向かう。
ひとりぼっちで、毎日自分で食べるものを決めて、足を使って街を歩く。
知らない人と会話をして、お互い言語が通じなくても、写真を撮って通じ合う。
心細くなったら、あったかいものを買ってホテルで一息つく。
日本だったらなんでもないこと。
でも本当は全部大事なこと。
そして無事に、自分の家に帰ること。
そのひとつひとつができることに、やっぱり嬉しくなったり楽しくなったり。
失ったものも多かった時期に、たくさん得るものがあった旅だった。
私はまだまだ自分で立って歩いていける、そう思える旅だった。
これは、ドイツから遊びに来てくれた先輩と街をふらりと歩いているときに見つけたスケートリンク。前日にはなかったのに、この日に突然出没していて驚いた。
そこで何気なく撮っていた映像に入り込んだカップルの二人。
たまたま画角のど真ん中で止まり、映画のようにまた滑り出す。
きっとなんでもないこういう景色の積み重ねが、私の旅を彩っていって、思い出になっていく。
余談だけれど、帰りも私はドバイに置いて行かれた。
今回はスーツケースだけではなくて、私ごと。
アムステルダムから出発する飛行機が何時間も遅延して、ドバイに着くと「あなたの乗り換えの飛行機は24時間後になった」と言われた。
思わず呆然とした表情をしてしまったけれど、もう慣れたもの。
これも旅だな、とすぐに切り替えられた様子がインスタのハイライトに残っている(見返して自分で笑ってしまった)。
スーツケース自体はもう待機所に送られているようで、手元にはない。
旅の始まりの洗礼を活かして、コンタクトやコンセントは手持ち荷物に入れておいた。パジャマもないため、この旅二回目、上着を羽織って眠りについた。
ぜんぶ、未来の私が笑ってくれる思い出だ。
そして、ドバイの空港で出会った日本人の女の子と、後に台湾に二人で旅行に行くまで仲良くなったのは、また別の記事で書くことにしよう。
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追記。
今年も、ずっと行きたかった場所への旅が決まりました。
2025/3/5-2025/4/2まで、スペイン→ポルトガル→モロッコへと旅します。
今回はどんな世界の欠片を見ることができるのか楽しみ。
この三カ国に行くにあたり、お仕事をご依頼の方はお気軽にご相談くださいませ。
(X, InstagramのDM、またはnoellesomeya@gmail.comまで)
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オランダに行く前の記事▼
オランダで撮影してきた映像作品(ニコンイメージングジャパン公式YouTube)▼