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うつわはミニマリストでなくてもいい

今から15年くらい前、私が30代の頃に流行った「暮らしブーム」にのり、「うつわ」にのめり込んだ時期があった。仕事でそのテーマに携わることもあったし、何より自分が好きで、吉祥寺や西荻窪の古道具店や北欧雑貨店、世田谷の住宅街にあるうつわ店などにしょっちゅう足を運んでは、働いて得た多くをそれらの買い物に費やしていた。

夫も大の骨董好きだったことから、夫婦でアンティークにハマった時期もあった。時間も体力も惜しみなく注いで収集した当時の戦利品には、イタリアやフランスのアンティークの白皿、琉球時代の小鉢、江戸時代の珉平焼きなど多数ある。それらは今も我が家の食器棚で静かに佇んでいる。

うつわは使えるものだけあればいい?!

だが8年ほど前に息子を出産したあたりから、私の「うつわ熱」は静かに冷めていった。時間の全てを子どもに捧げていた最近まで、これらのうつわたちが意気揚々とテーブルに並ぶことはなく、代わって電子レンジOKな皿、子どもが使っても安心な市販品の皿などをよく使うようになっていた。

出産前後に到来した「片付けブーム」も相まって、取り扱いの難しいアンティークや骨董のお皿はもう使わないかも?と、いつかは整理しようと考えたこともあった。必要なものだけに囲まれた「ミニマルな暮らし」や「余裕のある収納」にも憧れた。白いお皿と、いくつかの鉢物、お椀など、好きなものだけを最低限に持つだけで良いのでは?と考えたことも少なくない。

インスタグラムの料理投稿からの気づき

しかし息子が小学生となり、幼児期よりは手がかからなくなった今、このタイミングで思いがけず、「うつわ熱」が再燃している。やはり、手放さなくてよかった!と心でガッツボーズする毎日である。

きっかけはnoteでも大人気の文筆家小川奈緒さんのVoicyを聞き、番組の中で紹介されていた雑談レシピ(鶏肉とさつまいもとレンコンの甘酢炒め)を投稿すべくインスタグラムを始めたこと。その後、続ける中で「料理記録のアカウントにしたら、後から振り返って見たときに楽しいかも?」と軽い気持ちで思いたち、手持ちのうつわに食事を盛っては気の向いたときに撮影して投稿していた。そこに思いがけず、料理より「うつわ」へのコメントをいただくことが多かったのだ。

安藤雅信さんのイタリアンボウル。どんな料理も美味しく見せてくれる。

私が愛用していて、投稿にも頻繁に登場しているのは、作家の安藤雅信さんのイタリアンボウルや李英才さんの平皿。実際に自分の投稿内に記載した作家名に#タグをつけて検索してみると、他のどの料理系#タグを入れるより、私好みで美味しそうな料理ポストの数々に出会うことができた。料理の好みとうつわ選びのセンス、それがこんなにも深いところで繋がっていたのだということを、インスタグラムの投稿検索を通じて、鮮やかに見せつけられたのだ。深い感動があった。

李英才さんの平皿。和洋中幅広く受け止めてくれる。

自分の星が輝くように、うつわを選ぶ

あらためて占星術を通して自分を分析してみる。私は「表現」を喜びとする星回りに生まれている。「ミニマリスト=最小限のモノに囲まれた暮らしを営む人」ととらえていた私が、時流に乗って「うつわもミニマリストに」と思いたち、白い皿だけ少量にもつ生活にシフトしていたとしたら。今の私を楽しませてくれているうつわを通した交流も生まれなかったし、料理とうつわに今一度深い思いを馳せることもなかっただろう。

占星術では「自分の星が喜び輝くこと」が何よりの開運法とされている。
私の星における最良のうつわの選びは、使い勝手の良いものを最小限もつことではなく、うつわを通した繊細な表現を楽しむこと、それを自分なりの手法で人に伝えることだ。

だから今、食器棚にあるゴツゴツとして洗いづらく、食洗機にもかけられない備前焼のうつわも、割ったら二度と手に入れない江戸時代の珉平焼きも、紙のように
薄いガラスでできた作家さんの小鉢も、心して丁寧に使い続けていこうと思う。

うつわ選びにも、自分の星を生かすこと。
ミニマリストにならないほうが良い星もあるのだ。










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