普通って
普通 ふつう フツー
普通を疑わずに生きてきた私の普通は
みんなの普通で、みんなの最大公約数という
共通認識社会で生きていると思っていた。
何で差が生じたかは、
残念ながら覚えていないのですが。
私「普通そうでしょ!」
息子「それは、あなたの普通であって、俺の普通ではない!」
私「(え!?)・・・(普通って、一番大きい重なりじゃないの!?)」
感情的にねじ伏せることはできたかもしれないが、
説き伏せることはできないと冷静を装った。
私「ふ〜ん。そうなんだ。」と言ったかどうかも定かではない。
頭の中は、普通? ふつう? フツー?
普通の?(ハテナ)でいっぱいだった。
これまで、このような場面にでくわさなかったのは、
どうしてなんだろう。
年代によるものだろうか。
言葉は変わるもの。
それは、知っていた。
「普通」の使い方が違ってきていることも知っている。
でも、
範囲が違うこと、
範囲が違ってきていること?
には気づかなかった。
頭の中を整理した。
狭い日本、その中の、いち地域、
その中のいち家庭において
「普通」の範囲が違うのだから、
社会でも違うのだろう。
今後は気をつけよう。
素直にそう思えました。
外国ともなると文化も違うので、
「普通」が通じないものと理解できるのに、
近くの「普通」の違いに
目から鱗が落ちた日でした。
私はまた息子先生に教えられたのだった。
近くに師ありでした。
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