人生の豊かさなのかな
こんばんは。
今日は昼から就労移行支援、歩いて帰って少し運動。
そのあとカフェで本を読んだ。
10月からひたすら制作して、全部終わったらすっかり何もやることがなく、さぁどうするかなぁ!
、、、とは、まだ思えず、
モヤモヤと過ごしてます。
数日モヤモヤ過ごそう。
さて、人生の豊かさについて、思う事があった。
というのも母が乳がんになって、
来月は手術のために僕が付き添うことに。
数日おきに不安な母から電話がある。
僕は、自身が病気の最盛期の時に、
家族から勘当されている。
躁うつ病を患っている母を筆頭に、
親戚一同から財産目当ての嘘の病気とはやし立てられて、毎日辛辣な電話を受けていた。
その間にも病気は猛威を奮って、
一歩も外に出れない、
何も食べれない。
光や音、人に会う、
そういったことで戻してしまう状況に、
何度も救急車で運ばれては、ICUに入ったり、
とにかく大変な思いをした。
耐えかねたある日、眠剤をありったけ飲んで死のうともした。
その時も例に漏れず救急搬送。
その間、家族はおろか友人も誰も助けにはきてくれなかった。
そんな家族とも、生活保護で細々と闘病してることをようやく理解してくれて、協力してくれるようになる。
それが今年の2月のことだった。
そう、そんな中での今回の母の乳がん。
さっき母から電話があり、不安にさせないでほしいと、話してきたので、
この話を少しした。
僕は母に1人の人間として、
生きてて欲しいと伝えた。
財産の話とか、説明してくる母を遮って、
そんなことは良いから、生きてて欲しいと。
母はその時、泣いて喜んでいた。
家族にされた熾烈なイジメみたいなものを思い出さないわけではなく、
自分のために、そう話した。
時折、心がそれを思い出す。
母に不安を打ち明けられた時、
自分は周りに誰もいなかったと話した。
救急搬送で引き取りてがきてくれたことはなく、
福祉の人に連絡をとって迎えにきてもらったことともあると伝えた。
なんで、話したかと言うと、
だから大丈夫と伝えた。
お母さんは1人じゃないし、恨んでるから冷たくしてやろうなんて思ってない。
でもわかってほしい、
そういうこともあったんだって、
話すと、母は悪かったと言っていた。
自分が、人として、
太くなっていっているのを肌で感じて、
これが人生の豊かさかー
そんなことを感じた日でした。