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同じだけの傷背負った者同士で支え合うのがいいっぽい

「自分と同じくらい十字架を背負った男と恋愛しな」とマツコがYOASOBIのいくらちゃんに言ってた。

前後の文脈は知らないし、画像からは同じ十字架を背負っているのであれば「悪いことしない」という話に落ち着いてるっぽいんだけど私はこの言葉を違う意味で解釈して何度か思い出す。

つまり私が私のいいように解釈したマツコの「自分と同じくらい十字架を背負った男と恋愛しな」という言葉は、「自分と同じくらい傷を負ってる男と恋愛しな」なのだ。傷をどうやって癒せるかといったら、私にとっては、その傷がどれくらい痛かったかを想像して、寄り添ってもらうことに尽きると思う。それがなされない時って、他人によって傷が癒えることはない気がする。もちろん自分で自分を癒すことができるのであればいいんだけども。

彼氏やパートナーは、傷を癒してもらうための人じゃないということは承知しているつもりで、現に今の彼氏は相手の痛みを想像して寄り添ったり、共感したりするタイプでは全くない。人には人の痛みしかわからん、と割り切って捉えるタイプで、人と自分を同一視しがちな自分とは異なる人との距離感を持っていると感じ、それはそれで誠実な態度だと思っている。ただ私が彼氏に対して安心するのは、彼氏が受けてきた傷の大きさを、分からないなりにも私が想像できるという点だ。分かる、と言ってしまうのはかなり傲慢だと思うので分からない、とは言いたい。本当は私は共感によって傷を癒してもらいたい、とは思いつつも、負っている傷の大きさを想像するだけでも癒しになることが、きっとあるのだ。癒されているのかはわからないが、背中を預け、存在を預けられる信頼感があるのだ。お互いに分からないが、空っぽの自分たちを、互いに頼らずに自分たち自身で満たしていこうと励まし合うことはできて、満たされない分の表面的な愛情を分け合って、それで幸せを獲得していくのだ。

別に彼氏ではなくて友達でも、本当に苦しいことを告白できる人は本当に限られていて、やっぱりそれができる人は、私にとっては私と同じくらい苦しんだことがあるように見えてしまう人だったりするのだ。こうやって人を見るのはあまり良くないかもしれないが、そう思わない人は、平たく言うとシンプルに年下で、「幼い」と思ってしまう人だったりする。人には人の苦労があって、見せないだけとか充分わかってるつもりだけど、同じくらいの傷があると想像できる人に、私は心を開くんだろうなと思う。そして、私もその人に全力で愛を注いで、役に立つ瞬間はあるのだろうなと思う。

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