夢の中の実家
時々実家の夢を見る。今の一戸建てとは違い、小学生の頃まで住んでいたマンション。幼少期の懐かしい記憶が私に夢を見せる。
リビングは白く硬い壁に覆われ、隅にキッチンの一室がある。キッチンは種々の道具が並んでいるが、幼い私の目には下の戸棚とポットとシンクしか見えない。リビングの左隣は子供たちの2人部屋。リビングの右隣は親の寝室。まだ親離れしていない子供たちは、寝室で家族4人揃って夢を見る。他にも部屋はあるが、夢への登場機会が与えられないので割愛する。
物心ついて9年間で、時間と共にモノも配置も変わっていったが、夢の中ではバラバラの時間が一つに混ざり合い「思い出の家」が舞台として形成される。夢での私は学生だったり社会人だったりするが、小学生には戻れない。小学生までと今の自分は違う人間なのか。彼我の距離は遠く離れ、既に他者と成り変わったのだろうか。
夢の内容は夫婦や子供が嘯く陳腐なものでしかなく、物語としては二流だろう。社会人の性か、遠く離れた会社への遅刻が確定し、慌てふためいていると目が覚める。確か学生の時分は怖い者に追われたり、同じマンションの人と遊んだりする夢を見ていた。大人ぶっていてもまだ感情は揺れ動いていたのかもしれない。
夢の分析などできない素人だが、ただ一つ言えることがある。実家の夢から覚め、頭も心も目覚めかける時にまず胸によぎる感情は「帰りたい」だ。だが、今の自分が同じ場所に帰れたとしても、懐かしい思いこそあれ、満たされはしないだろう。父母や妹、旧友と会うこととなんら変わりはない。帰りたいのは、場所や人ではなく小学生の自分、ありのままでいた自分だろう。中学に入り、厳しい現実をこの手で救うために内面の自分に別れを告げた。その時に私の信じてきた世界も、信条も、生き方も、偽善的であったが心から芽生えた優しささえも崩した。今生きる世界を無邪気に信じていてよかった、あの頃に戻りたいと心の底で願っているのだろう。
胸に芽生えた切なさは、目覚めた先の現実の前に塵と消えゆく。叶わぬ過去に逃げ込む事よりも、現実を生き、未来で夢を叶えることを今の私は選んだのだから。