「世の中の人・全員自分説」で起きた奇跡
わたしはあなた、あなたはわたし、を改め。
世の中は全て自分の顕れ説を始めて二日目です。
朝、奇跡とも思える出来事が起こりました。
我が子は本当に頑固で。
頭でダメだとわかっていても「やりたい」を優先しがちです。
学校がイヤだとグズグズを押し切り、ズル休みをゲットするのは日常茶飯事で。
それでも学校に行きなさいと追い出せば、学校から捜索願の連絡が来ます。
超ロングランな道草を食って、カエルの巣を探したり秘密基地に籠ったりセルフで生活の授業を始めちゃうんですね。
今日も行く直前にグズグズし始めたんです。
え…仕事潰れるやん…
えええええイヤやな…
と思いつつ、子どもが泣きまくり大暴れする様子を観察しました。
これもまた自分、これもまた自分と心で唱えているうちに…
もしやわたしの代わりに泣いてくれているのか?と思えてきたんです。
わたしだけじゃありません。
世界の学校に行きたくない子どもたち
仕事をずる休みしたい大人たち
そんな人たちの悲しみや葛藤を背負っている悲しみに見えたんです。
となると、泣き声も単なるワガママではありません。
わたしの代わりに泣いてくれてるのね。
泣きたくても泣けない誰かの代わりに表現してくれているのね。
いつもなら「はよ学校いけやあああ!!」と怒号飛ばすところなのに、気づいたら子どもへの感謝の気持ちでいっぱいになっていました。
ありがとうと言いたい。
でも、ここで声をかけたらせっかくの涙を止めてしまう。
しかも、ここでありがとうとかマジで意味不明。
どう伝えようか悩んでいたのもつかの間。
子どもがピタッと涙を止めて、大急ぎで家を出ていったんです。
わたし何も言ってない。
けど、あの人勝手に学校に行ったわ。
何が起こったのかわかりません。
わたしの感覚が正しいのかもわかりません。
でも少なからず、わたしが怒号を飛ばすことは回避できました。
子どももズル休みを回避できました。
最悪行っても休んでもどちらでも良いんですが、よくある朝の光景が壮大な人間ドラマに感じたんです。
頑張らなきゃとわかっていても、頑張れない時ってありますよね。
小さいときは素直に表現できたのに、
大人になってその気持ちを我慢することができるようになりました。
でも、悲しみがない訳じゃありません。
やっとの思いで身体を動かしているだけです。
あなたが耐えなきゃいけないなら、わたしが発散するね。
世の中の出来事ってそんな風に回っているのか…?とも思えます。
いや、実際そうなのかはどうでも良くて。わたしにとって「世の中の人が全員自分」と言う眼鏡が、最高に着け心地が良いというだけです。
世の中なんて、人間の数だけ解釈があります。
みんな好き勝手切り取って都合の良いように解釈しているだけです。
そんな中で、わたしの新しい切り取り方が良かった。
それだけなんですけどね。
でも、子どもの奇行に振り回され、頭を腫らすまで日々悩んでいるわたしにすれば、怒らず問題を回避できたのは奇跡に近い出来事な訳で。
子どもとの関係や周りの方の関係に悩んでいる方。
「世の中の人が全員自分」という、この眼鏡はおススメです。
突拍子もないアイデア出てくるかもしれませんが、それもまた一興。ぜひ新しい世界を楽しんでみてください。
引き続きこの眼鏡をかけ続けてみます。
また何かあればご報告します。